「特定の病気は体質や環境のせい」という「常識」はいかに覆されたか:ビタミン発見が変えた病気の原因論
原因不明とされた病の謎
古くから人々は、脚気(かっけ)や壊血病(かいけつびょう)といった原因不明の奇妙な病に悩まされてきました。これらの病は、特定の集団や環境で多発する傾向があったため、「体質的なものだろう」「その土地や環境が悪いのだろう」といった漠然とした「常識」で片付けられることが多かったのです。
特に、長期航海に出る船員に多発した壊血病は、船乗りの職業病として恐れられ、多くの命を奪いました。また、日本では、近代化が進み、精米技術が向上して白いご飯が広く食べられるようになるにつれて、脚気が国民病とも呼ばれるほど蔓延しました。当時の医学では、これらの病気の原因は全く分からず、治療法も見つかっていませんでした。まさに、人々の健康を脅かす「謎の病」だったのです。
経験から生まれた疑問の種
しかし、長い歴史の中で、経験的にこれらの病気と食生活の間に関係があるのではないかという疑問が生まれ始めます。
壊血病については、18世紀中頃、イギリス海軍の医師であったジェームズ・リンドが、壊血病患者に様々な食物を与えてみるという比較臨床試験を行いました。その結果、レモンやオレンジといった柑橘類を与えた患者の病状が劇的に改善することを発見しました。これは、当時の医学における「何か特定の食物が病気を治す可能性がある」という画期的な知見でしたが、その科学的な根拠は不明であり、すぐには広く受け入れられませんでした。
脚気についても同様です。日本の海軍軍医であった高木兼寛は、長期航海で脚気患者が多発する船と、そうでない船の食事の違いに注目しました。麦飯を導入した船では脚気患者が激減したことから、食事の内容、特に米の栄養成分に原因があるのではないかと推測しました。また、オランダの医師クリスティアーン・エイクマンは、ジャワ島で脚気を研究していた際、精米した白米を与えられたニワトリが脚気のような症状を発症し、玄米や米ぬかを与えると回復することを発見しました。これは、米ぬかの中に脚気を予防する「何か」が含まれていることを強く示唆していました。
「付属栄養素」という概念の誕生
これらの経験的な観察や動物実験の積み重ねは、「病気の原因は体質や環境だけではなく、食事に含まれる『何か』の不足にあるのではないか?」という、旧来の「常識」に対する強力な疑問を投げかけました。
20世紀初頭、イギリスの生化学者フレデリック・ホプキンズは、ネズミを使った実験から、炭水化物、脂質、タンパク質といった主要な栄養素だけでは生命を維持できず、微量ながらも生存に不可欠な「付属栄養素(Accessory Factors)」が存在すると提唱しました。これは、それまでの三大栄養素中心の栄養学に一石を投じるものでした。
そして、ポーランドの生化学者カシミール・フンクは、米ぬかから脚気を予防する物質を単離(たんり:他の物質から分離して取り出すこと)しようと試みる中で、この物質がアミン(化学物質の一種)であり、生命(Vital)にとって不可欠(Amine)であるという意味を込めて、「Vitamine」(後にVitaminとなる)と命名しました。これが、「ビタミン」という言葉の誕生です。
ビタミンの発見と欠乏症の解明へ
フンクによって提唱された「ビタミン」の概念は、世界中の研究者を刺激しました。日本の鈴木梅太郎は、フンクより先に米ぬかから脚気予防に有効な成分を抽出し、「オリザニン」と名付けました(これが後のビタミンB1の一部であることが判明します)。その後も、様々な種類のビタミンが次々と発見され、単離され、その化学構造が決定されていきました。
それぞれのビタミンが、特定の栄養素欠乏症と呼ばれる病気(例:ビタミンC欠乏による壊血病、ビタミンB1欠乏による脚気、ビタミンD欠乏によるくる病など)の原因であることが科学的に証明されていったのです。かつて原因不明とされ、体質や環境のせいだと考えられていた病気が、実は食事からの特定の微量成分の不足によって引き起こされるという、全く新しい病気観が確立されました。
このビタミン発見の歴史は、単に新しい物質が見つかったというだけでなく、病気の原因に対する人類の理解を根本から変えるパラダイムシフト(考え方の枠組みの大きな変化)でした。「病気は外部からの侵入者(病原菌)や体内の異常だけで起こるのではなく、生命維持に必要な物質の不足によっても起こる」という新しい「常識」が生まれたのです。
現在のビタミンと栄養学
現在、ビタミンはヒトの健康維持に不可欠な微量栄養素として、その種類(ビタミンA, B群, C, D, E, Kなど)や働き、推奨摂取量などが詳細に研究され、広く認知されています。ほとんどのビタミンは体内で合成できないため、食事から摂取する必要があります。バランスの取れた食事を心がけることが、かつて多くの人々を苦しめたビタミン欠乏症を予防する上で極めて重要であることは、今や揺るぎない「常識」となっています。
ビタミン発見の物語は、経験的な知見が科学的な探求へと繋がり、それまでの常識を覆して新しい時代の医学・栄養学を切り拓いた好例と言えるでしょう。
まとめ
かつて脚気や壊血病のような病気は、体質や環境のせい、あるいは原因不明の「謎の病」と考えられていました。しかし、食事との関連を示唆する経験や実験を積み重ね、不可欠な「付属栄養素」、すなわち「ビタミン」の概念が提唱され、その実体が次々と明らかにされる過程で、これらの病気が特定の栄養素の欠乏によって引き起こされることが科学的に証明されました。
この発見は、病気の原因に関する人類の理解を根底から覆し、現代の栄養学と医学の基盤の一つを築きました。特定の病気が単なる体質や環境の問題ではなく、科学的に解明可能な栄養素の不足によるものであると分かったことは、病気の予防や治療に計り知れない進歩をもたらしたのです。この歴史を知ることは、科学的探求の重要性と共に、日々の食事が私たちの健康にいかに深く関わっているかを改めて認識する機会となるのではないでしょうか。