「天然痘は避けられない宿命」という「常識」はいかに覆されたか:ワクチン前夜の挑戦と予防医学の始まり
避けられない「宿命」だった天然痘
歴史を振り返りますと、人類は古くから様々な病気に苦しめられてきました。中でも、天然痘(てんとう)は最も恐れられた病気の一つです。高熱、全身にできる膿疱(のうほう)、そして高い致死率。たとえ命が助かったとしても、顔や体に生涯消えない痘痕(あばた)が残ります。
古代エジプトのミイラにも痘痕が見られるほど、この病気は長い間人類と共存し、幾度となく大規模な流行を引き起こしました。当時の人々にとって、天然痘は文字通り死や醜い痕跡を残す恐ろしい「魔物」のような存在であり、有効な治療法は皆無でした。
なぜこの病気にかかるのか、どうすれば防げるのか。科学的な知見が乏しかった時代、人々は天然痘を神の罰や避けられない運命、あるいは体質や環境のせいだと考えました。病気にかかることは個人の「宿命」であり、どうすることもできない「常識」として広く受け入れられていたのです。
経験から生まれた「人痘接種」の試み
しかし、長年の経験の中で、ある重要な事実に人々は気づき始めていました。それは、「一度天然痘にかかって回復した人は、二度と天然痘にかからない」ということです。これは現在でいう「免疫」の働きによるものですが、当時の人々はその仕組みを知る由もありませんでした。
この経験則をもとに、天然痘の予防策として試みられたのが「人痘接種(じんとうせっしゅ)」です。これは、天然痘にかかって軽症で済んだ人の膿疱から膿を取り出し、健康な人の皮膚に少量接種するという方法でした。主に中国で古くから行われており、18世紀にはオスマン帝国を経由してヨーロッパにも伝わりました。
人痘接種には、天然痘にかかった人が得る免疫を人工的に作り出すという、現代の予防接種に通じる考え方が含まれていました。実際に、この方法である程度の効果が得られることも確認されました。しかし、大きな課題もありました。接種された人が重症化して亡くなるリスクがあったり、接種した人から他の人に天然痘が広がる可能性も否定できなかったのです。人痘接種は完全に安全な方法ではなく、依然として天然痘は人々にとって大きな脅威であり続けました。
牛痘との出会い:田舎医者の観察眼
そんな中、天然痘に対する旧来の「宿命」という常識を覆す決定的な発見につながる経験則が、イギリスの農村部で語られていました。それは、「牛がかかる牛痘(ぎゅうとう)という病気にかかったことのある酪農家の人々は、恐ろしい天然痘にかからない、あるいはかかっても非常に軽く済む」という言い伝えです。
牛痘は、天然痘とよく似た症状を牛の乳房に引き起こしますが、人間が感染しても手に軽い発疹ができる程度で、すぐに回復する比較的穏やかな病気でした。この地元の言い伝えに注目したのが、エドワード・ジェンナーという田舎の医師でした。
ジェンナーは、この言い伝えが単なる迷信ではないのではないかと深く考えるようになりました。牛痘にかかるという経験が、天然痘への抵抗力(免疫)を与えているのではないか、と彼は考えたのです。もしそうであれば、危険な人痘接種よりも、安全な牛痘を利用した予防法が開発できるかもしれない。それは、天然痘という避けられない宿命から人々を解放する画期的な方法になる可能性を秘めていました。
世紀の実験と科学的証明
ジェンナーは、この仮説を科学的に証明することを決意しました。そして1796年5月14日、歴史的な実験が行われます。ジェンナーは、牛痘にかかった女性の腕にあった病変部から膿を取り、健康な8歳の少年、ジェームズ・フィップスの腕に接種しました。少年は軽い発熱と腕の痛みを感じたものの、すぐに回復しました。
数ヶ月後の1796年7月1日、ジェンナーは次の段階に進みます。フィップス少年に、今度は天然痘患者から取った本物の天然痘ウイルスを接種しました。これは非常に危険な行為でしたが、ジェンナーの確信に基づいた実験でした。結果はジェンナーの仮説通りでした。少年は天然痘にかからなかったのです。牛痘を接種することで、天然痘に対する免疫が獲得されたことが、この実験によって示されたのです。
ジェンナーはこの成果を論文にまとめましたが、当時の医学界からの反応は冷ややかなものでした。動物の病気から取った物質を人間に接種することへの生理的な抵抗感や、データが少ないという批判にさらされました。中には、牛のようになるのではないかといった根拠のない噂まで流れました。旧来の常識や既存の人痘接種への固執から、新しい発見はすぐには受け入れられませんでした。
種痘の普及と「ワクチン」の誕生
しかし、ジェンナーは実験を繰り返し、牛痘接種(種痘)の安全性と有効性をさらに証明しました。徐々にその効果が認められ、種痘はイギリス国内だけでなく、海を越えてヨーロッパ各地、そして世界中へと広まっていきました。ナポレオン・ボナパルトが兵士への種痘を推奨するなど、その効果は広く認知されるようになります。
後に、フランスの細菌学者ルイ・パスツールは、ジェンナーの種痘の成功に触発され、狂犬病などの予防法を開発します。パスツールは、病気を予防するこの方法全般を、ジェンナーが用いた牛(ラテン語でvacca)に由来する「vaccine」(ワクチン)と名付けました。こうして、ジェンナーが行った牛痘接種は、「ワクシネーション(vaccination)」の語源となり、予防接種という現代医療の礎を築いたのです。
天然痘の根絶:旧常識の完全な否定
ジェンナーが発見した種痘は、天然痘という病原体に対する免疫反応を誘導することで、感染を防ぎ、重症化を抑える仕組みです。これは現代のワクチンと基本的に同じ原理です。
種痘の普及は、天然痘の流行を抑え込む大きな力となりました。そして、20世紀後半、世界保健機関(WHO)主導のもと、地球上から天然痘を根絶するための大規模なキャンペーンが展開されました。その結果、1980年には人類史上初めて、天然痘の根絶が宣言されました。かつて「避けられない宿命」と思われ、多くの人々の命を奪い、苦しめてきた天然痘は、科学の力、特にジェンナーが切り開いた予防医学の力によって、地球上から完全に姿を消したのです。
まとめ
天然痘を巡る歴史は、「避けられない宿命」という旧来の常識がいかにして覆されたかを示す典型的な事例です。それは、経験に基づいた素朴な観察に始まり、それを科学的な仮説へと昇華させ、根気強い実験によって検証し、そして粘り強く世に広めるという、科学的な探求のプロセスそのものでした。
エドワード・ジェンナーによる種痘の発見は、単に一つの病気の予防法を見つけたに留まりません。それは、病気は迷信や運命ではなく、科学的に理解し、予防や治療が可能であるという認識を人々に広め、予防医学という新しい分野を誕生させました。
この歴史は、私たちが日々の生活で触れる情報や、当たり前だと思っていることの中にも、科学的な検証によって覆される可能性があることを示唆しています。事実に基づき、批判的に物事を見る視点が、より正確な理解へと私たちを導いてくれるのです。