「太陽は燃える石炭である」という「常識」はいかに覆されたか:核融合が明かした恒星のエネルギー源
なぜ太陽は燃え尽きないのだろうか? 古代からの問い
私たちの暮らしに欠かせない太陽。空に昇り、明るさと暖かさをもたらしてくれるその巨大な天体が、一体どのようにしてあれほどのエネルギーを生み出し、数十億年もの間、輝き続けることができるのか。これは、古くから人々が抱いてきた大きな謎の一つでした。
まだ科学が十分に発達していなかった時代、人々は身近な現象から太陽のエネルギー源を推測しました。最も分かりやすいのは「燃焼」です。木や石炭が燃えることで熱や光が出るように、太陽も何か巨大なものが燃えているのだろう、と考えられたのです。特に、産業革命以降に石炭が主要なエネルギー源となると、「太陽は巨大な石炭の塊が燃えているようなものだ」と考える人も現れました。これが、かつて存在した「太陽は燃える石炭である」という常識的な理解の始まりです。
しかし、この「燃える石炭」説には、ある深刻な問題がありました。
燃焼説が直面した「寿命」の問題
19世紀になり、物理学や化学が発展するにつれて、太陽のエネルギーに関するより科学的な考察が進みました。当時の科学者たちは、既知の物理法則や化学反応を使って太陽のエネルギー放出量を計算しました。
例えば、もし太陽が石炭でできており、それが燃焼してエネルギーを生み出していると仮定すると、その質量と放出エネルギーから計算される太陽の寿命は、せいぜい数千年から数万年程度にしかならないことが分かったのです。これは、人類の歴史よりもはるかに短い期間です。
しかし、当時の地質学の研究は、地球の年齢がそれよりもはるかに長いことを示唆し始めていました。岩石の堆積や侵食のスピード、化石の記録などから、地球の歴史は何億年、あるいはそれ以上かもしれない、という考えが広まりつつあったのです。
地球の年齢との矛盾:ケルビン卿の重力収縮説
この矛盾は、当時の科学界で大きな議論を呼びました。特に有名なのは、熱力学の大家であるケルビン卿(ウィリアム・トムソン)です。彼は、太陽のエネルギー源として燃焼説では説明がつかないことを理解していました。
ケルビン卿は、別の物理法則、すなわち「重力」に注目しました。太陽のような巨大な質量の天体が、自身の重力によってゆっくりと収縮するならば、その際に放出される重力ポテンシャルエネルギーが熱や光に変換されるのではないか、と考えたのです。この「重力収縮説」は、燃焼説よりもはるかに長い、数千万年という太陽の寿命を説明することができました。これは当時の科学にとっては画期的なアイデアでした。
しかし、この重力収縮説をもってしても、地球の地質学者たちが推測する「数億年以上」という地球の年齢を説明するには不十分だったのです。太陽が数千万年で燃え尽きるなら、その間、地球の気候や環境は大きく変わるはずですが、地質学的な証拠はそれよりも安定した長期的な歴史を示していました。
新しい発見が導いた「無限」のエネルギー源
この行き詰まりを打開したのは、20世紀初頭の物理学におけるいくつかの画期的な発見でした。
まず、アルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)です。この理論から導かれた有名な方程式 E=mc² は、質量(m)がエネルギー(E)と等価であり、光速(c)の2乗という膨大な係数で結びついていることを示しました。これはつまり、たとえわずかな質量が失われたとしても、それは膨大なエネルギーに変換されうる、という驚くべき事実を意味していました。
次に、原子核物理学の発展です。放射能の発見や、原子核の構造、そして原子核同士が衝突・合体する際に enormous(莫大な)エネルギーが発生する可能性が示唆されるようになりました。
これらの新しい知見を踏まえ、天文学者や物理学者たちは、太陽の中心部が想像を絶するほどの高温・高圧になっているはずだと考え始めました。そして、その特殊な環境下であれば、通常の化学反応とは全く異なる、原子核レベルでの反応が起きているのではないか、と推測したのです。
核融合理論の確立:ベーテの功績
新しいエネルギー源の探求は進み、ついにその正体が明らかになります。それが 核融合(かくゆうごう) 反応です。
核融合とは、軽い原子核同士が超高温・超高圧の環境下で結合し、より重い原子核になる際に、その質量のわずかな一部がアインシュタインの方程式(E=mc²)に従って膨大なエネルギーとして放出される現象です。太陽の場合、主に水素原子の原子核(陽子)がヘリウム原子の原子核に変換される反応が起きています。
この太陽のエネルギー源が核融合であることを、理論的に明確に示したのは、ドイツ出身の物理学者ハンス・ベーテでした。彼は1938年に、太陽のような恒星の内部で効率的にエネルギーを生み出すことができる一連の核融合反応サイクル(陽子-陽子連鎖反応やCNOサイクル)を提唱し、その理論は多くの観測事実と一致しました。これにより、太陽がなぜ何十億年も輝き続けられるのか、という謎が解明されたのです。
現在の理解:壮大な核融合炉としての太陽
現在の科学では、太陽の中心部では約1500万度という超高温、地球の海水面気圧の約2500億倍という超高圧のもとで、毎秒およそ6億トンもの水素がヘリウムに変換される核融合反応が起きていることが分かっています。この反応によって失われた質量が、文字通り光と熱のエネルギーとして宇宙に放出され、私たち地球にも届いているのです。
かつて身近な「燃焼」で説明しようとした太陽のエネルギーは、実際には原子核というミクロの世界で起きる、遥かにスケールの大きな物理現象によって生み出されていました。「太陽は燃える石炭」という素朴な常識は、物理学、天文学、原子核物理学といった異なる分野の進歩が融合することで、核融合という全く新しい概念に置き換えられたのです。
まとめ:科学の常識は変わり続ける
太陽のエネルギー源に関する歴史は、「常識」がいかに時代の科学知識に縛られるか、そして新しい発見や理論によってダイナミックに変化していくかを示す好例です。燃焼説、重力収縮説、そして最終的に核融合説へと至る道のりは、観測と理論の矛盾を乗り越え、複数の科学分野の知見が統合されていく科学の進歩そのものを映し出しています。
私たちが今「常識」と考えている科学知識も、未来の発見によって書き換えられる可能性を常に秘めています。この太陽の物語のように、未知への探求と既成概念への疑問を持ち続けることこそが、科学を発展させていく原動力なのです。