「種は不変である」という「常識」はいかに覆されたか:ダーウィンの進化論
かつて、多くの人が当たり前のように信じていた科学的な「常識」が、その後の研究によって誤りだったと判明し、全く新しい理解へと訂正されることがあります。この情報サイト「科学誤謬訂正史」では、そうした歴史上の興味深い転換点を取り上げて解説しています。
今回ご紹介するのは、生物学において最も根本的な「常識」の一つだった、「生き物の種(しゅ)は、創造以来不変である」という考え方です。現代では、生物が進化することは広く受け入れられていますが、歴史的には、この「種の不変説」が長らく支配的な考え方でした。これが、どのようにして覆され、現在の「進化論」という理解に至ったのかを見ていきましょう。
かつて信じられていた「種の不変説」
18世紀頃まで、ヨーロッパを中心に広く受け入れられていたのは、「この世に存在する全ての生物の種は、神が天地創造の際にそれぞれ独立して創造したものであり、以来、その姿を変えることなく不変である」という考え方でした。これを「種の不変説」といいます。
この考え方は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの「種のヒエラルキー(階層)」や、旧約聖書の天地創造の物語など、長い歴史を持つ思想や宗教観に基づいています。当時の人々にとって、身の回りの動物や植物は、確かに親から子へと同じ姿で受け継がれているように見えましたし、聖書の記述は絶対的な真実と捉えられていました。
18世紀には、カール・フォン・リンネというスウェーデンの博物学者が、生物を分類する画期的な方法、すなわち「分類学」を確立しました。彼は生物を種、属、科、目、綱、門、界といった階層に分類し、それぞれの種に学名を与える二名法を提唱しました。このリンネの分類学は、生物の多様性を整理する上で非常に強力なツールでしたが、彼自身は「種は創造によって生まれたものであり、不変である」という立場を取っていました。彼の分類体系は、あたかも生物が固定された「箱」に綺麗に収まっているかのように見えたため、かえって不変説を補強する側面もあったと言えるでしょう。
不変説への疑問の芽生え
しかし、時代が進み、人々の知識が増えるにつれて、不変説では説明しきれない現象が少しずつ現れてきました。
- 化石の発見: 地層から発見される古い時代の生物の化石が、現在生きている生物とは明らかに異なる姿をしていること、そして全く同じ姿の生物が現在見当たらないこと、つまり「絶滅」という現象があるらしいことがわかってきました。もし種が不変なら、絶滅は起こらないはずです。
- 生物の多様性: 世界各地を探検し、様々な地域の生物を調査する中で、同じような環境に生息している生物でも、地域によって微妙に姿が違うことが明らかになってきました。例えば、同じネコ科の動物でも、ヨーロッパのヤマネコとアフリカのライオンは全く異なります。なぜ地域ごとにこれほど多様な生物がいるのでしょうか。
- 類似した種: オオカミと犬、ライオンとトラなど、非常によく似た特徴を持つ別の種が存在するのはなぜでしょうか。不変説では、それぞれの種が独立に創造されただけ、と説明するしかありませんでした。
- 品種改良: 人間が家畜や農作物を改良するために、掛け合わせ(交配)を繰り返すことで、元のものとはかなり異なる特徴を持つ品種を作り出せることは、古くから知られていました。例えば、様々な姿かたちの犬は、全てオオカミから派生したと考えられています。人工的な操作とはいえ、生物の姿が変わるという事実は、種の不変性を揺るがすものでした。
これらの疑問に対し、「創造の際に少しバリエーションを持たせて作ったのだ」「絶滅は天変地異によって起こった」といった説明が試みられましたが、どうにもすっきりしない部分が残りました。
19世紀に入ると、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクは、「生物は生きている間に獲得した形質を子孫に伝えることで変化する」という進化論を提唱しました(用不用説・獲得形質遺伝説)。例えば、キリンが高い木の葉を食べるために首を伸ばそうと努力した結果、その努力で伸びた首が子孫に受け継がれる、と考えたのです。これは生物が変化するという点では画期的でしたが、獲得した形質が必ずしも遺伝しないことなど、現代の科学から見ると誤りを含む説でした。しかし、これは不変説に代わる新しい考え方を提示しようとした重要な試みでした。
決定的な転換点:ダーウィンの自然選択説
そして、「種の不変説」を根本から覆す決定的な理論が登場します。イギリスの博物学者、チャールズ・ダーウィン(1809年-1882年)による「自然選択説」を中心とした進化論です。
ダーウィンは、若い頃に測量船ビーグル号に乗船し、約5年間かけて世界中を旅しました。この旅で、彼は世界各地の膨大な生物や地質を観察し、記録しました。特に、南米沖のガラパゴス諸島での観察は、彼の考えに大きな影響を与えました。
ガラパゴス諸島は、多くの固有種(その地域にしか生息しない種)が生息する場所です。ダーウィンは、同じ種類の鳥(フィンチ)でも、島ごとにくちばしの形が異なることに気づきました。ある島では木の実に適した太いくちばし、別の島ではサボテンの蜜を吸うのに適した細長いくちばし、といった具合です。これらのフィンチは、大陸にいる共通の祖先から分かれて、それぞれの島の環境に適応するように姿を変えていったのではないか、とダーウィンは考え始めました。
様々な観察や、家畜の品種改良の事例(人間が特定の形質を持つ個体を選んで交配させることで、望ましい特徴を持つ品種を作り出す)からヒントを得て、ダーウィンは「自然選択(または自然淘汰)」というメカニズムを思いつきました。
そのメカニズムは、大まかに以下のような考え方です。
- 変異: 同じ種の中でも、個体によって様々な違い(変異)があります。(例:少し首が長いキリン、少し短いキリン)
- 過剰な生殖: 生物は、自分が生き残るために必要な数よりもはるかに多くの子孫を作ります。
- 生存競争: しかし、環境中の資源(食べ物、場所など)は限られているため、全ての子孫が生き残って成長することはできません。厳しい生存競争が起こります。
- 自然選択: この競争の中で、たまたま環境に適した有利な変異を持つ個体は、生き残る確率が高くなります。(例:首が少し長いキリンは、より高い木の葉を食べられるため、食べ物に困りにくく生き残りやすい)
- 遺伝: 生き残った個体が子孫を残すとき、その有利な変異は子孫に受け継がれます。
- 進化: これが長い年月の間に繰り返されると、有利な変異が集団の中に広がり、生物の集団全体の形質が変化していきます。これが進化です。
ダーウィンは、この自然選択によって、生物はゆっくりと、しかし確実に姿を変えていくことができると考えました。そして、非常に長い時間をかければ、共通の祖先から全く異なる種が生まれることもあり得ると結論付けました。
1858年、ダーウィンは同じように自然選択という考えにたどり着いたアルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823年-1913年)と共に、ロンドンのリンネ学会で論文を発表しました。そして翌1859年、彼の主著である『種の起源』を出版し、この自然選択説に基づく進化論を詳しく世に問いました。
『種の起源』は社会に大きな衝撃を与えました。当時の宗教観や不変説に慣れ親しんでいた人々にとっては、受け入れがたい考え方でした。激しい議論や批判が巻き起こりましたが、ダーウィンの綿密な観察記録と論理的な説明は、次第に多くの科学者に受け入れられていきました。これが「種の不変」という長年の「常識」が覆され、進化論が新たな「常識」となる第一歩だったのです。
現在の理解:総合説と進化研究の進展
ダーウィンの自然選択説は、生物学の歴史において最も重要な理論の一つとなりましたが、当初は進化の「仕組み」については不明な点も多く残されていました。特に、なぜ個体に変異が生まれるのか、そしてどのように形質が子孫に正確に受け継がれるのか、ダーウィン自身も明確に説明できませんでした。
20世紀に入り、オーストリアの修道士グレゴール・メンデル(1822年-1884年)が発見した「遺伝の法則」が再評価され、遺伝子の存在が明らかになると、進化論は新たな段階を迎えます。突然変異によって遺伝子に変化が起こり、それが変異の元となること、そして遺伝子が親から子へ受け継がれる仕組みが明らかになったのです。
遺伝学の発展とダーウィンの進化論が統合され、「総合説」と呼ばれる現代進化論の基礎が築かれました。さらに、DNAの二重螺旋構造の発見や分子生物学、ゲノミクスといった分野の驚異的な発展によって、私たちは分子レベルで進化の過程を詳細に調べることができるようになりました。
現代の生物学では、進化は単なる過去の出来事ではなく、現在も進行中の普遍的な現象として捉えられています。例えば、細菌が抗生物質に対して耐性を持つようになることや、昆虫が殺虫剤に対して抵抗力を持つようになることも、短いスパンで起こる進化の一例です。
まとめ
生物の種は不変である、という考え方は、かつて長らく科学的な「常識」として信じられていました。しかし、化石や生物の多様性など、不変説では説明できない多くの証拠が集まるにつれて、この考え方には疑問が投げかけられるようになります。
そして、チャールズ・ダーウィンによるビーグル号での観察と、自然選択という革新的なアイデアによって、生物が時間をかけて変化していく「進化」こそが、生物の多様性や複雑さを説明できる強力な理論として登場しました。当初は強い反発もありましたが、ダーウィンの進化論は、その後の遺伝学との統合などを経て、現代生物学の揺るぎない基盤となっています。
この「種の不変説から進化論へ」という歴史的な転換は、科学が権威や既成概念にとらわれず、あくまで観察と証拠に基づいて、謙虚に真実を探求し続けることで進歩していくということを私たちに教えてくれます。科学的な知識は、一度確立されたように見えても、常に新しい発見によって訂正され、より正確なものへと更新されていく可能性があるのです。