科学誤謬訂正史

「自然は真空を嫌う」という「常識」はいかに覆されたか:トリチェリの実験と大気圧の発見

Tags: 科学史, 物理学, 真空, 大気圧, トリチェリ

「何もない空間」は存在するのか? 古代からの疑問と「真空嫌悪」の思想

私たちは普段、何気なくポンプで水をくみ上げたり、ストローで飲み物を吸ったりしています。これらの現象は当たり前のことのように感じられますが、なぜ水は上向きに流れるのでしょうか。あるいは、なぜストローの中の飲み物は口まで上がってくるのでしょうか。

古代の人々もまた、身の回りの様々な現象に疑問を抱きました。そして、「何もない空間」、つまり「真空」が存在するのかどうかは、哲学者たちの間で長らく議論の的でした。紀元前に活躍したギリシャの哲学者アリストテレスは、「自然は真空を嫌う(Horror vacui)」という考え方を提唱しました。これは、自然界には空間の隙間がなく、もしどこかに真空ができそうになっても、周囲の物質がすぐにそこを埋めようとする性質がある、という考え方です。

アリストテレスの哲学は中世を通じて絶大な権威を持ちました。そのため、「自然は真空を嫌う」という考え方は、多くの人々にとって揺るぎない「常識」となりました。この「真空嫌悪」の考え方で、例えばストローで飲み物を吸う現象は、「口で空気を吸い出すとストロー内部に真空ができそうになるのを、飲み物が真空を嫌って上昇することで埋めている」と説明されていました。ポンプで水をくみ上げる現象も、同様に説明されていました。

ポンプの限界が突きつけた謎

しかし、この「真空嫌悪」の「常識」に疑問が投げかけられる出来事が起こります。それは、17世紀のイタリアで、鉱山などで水をくみ上げるポンプの性能に関することでした。当時のポンプは、水を約10メートルより高くくみ上げることができませんでした。どんなに強力なポンプを使っても、この高さが限界だったのです。

もし「自然が真空を嫌う」のであれば、どんな高さでも水は真空を埋めようとして上昇するはずです。しかし、実際には約10メートルで止まってしまう。これは一体どういうことなのでしょうか? この現象は、当時の技術者たちにとって大きな謎でした。

この謎に直面したポンプ職人たちは、著名な科学者であったガリレオ・ガリレイに相談を持ちかけました。ガリレオは、この現象を見て「自然の真空嫌悪にも限界があるのかもしれない」と考えました。しかし、彼はこの謎を完全に解明する前にこの世を去ります。

トリチェリの閃きと実験:見えない力の存在

ガリレオの死後、彼の弟子のひとりであったエヴァンジェリスタ・トリチェリが、この問題を引き継ぎました。トリチェリは、ガリレオの「自然の真空嫌悪には限界がある」という考え方をさらに発展させ、「水銀を使えば、もっと低い柱で同じ現象が起きるのではないか」とひらめきました。水銀は水よりもはるかに密度が高い(約13.6倍)物質です。もし水が約10メートルまでしか上がらないのが、何か見えない力(現在の言葉で言う「大気圧」)によって押し上げられているのだとすれば、同じ力を支えるには、より重い水銀はより低い高さで済むはずだと考えたのです。

1643年、トリチェリは有名な実験を行います。彼は、一方の端が閉じられた長いガラス管に水銀を満たし、開いた方を指で押さえて水銀の入った器の中に逆さまに立てました。指を離すと、ガラス管の中の水銀は少し下がり、約76センチメートルの高さで止まりました。そして、ガラス管の上部には水銀のない空間ができました。

トリチェリは、この水銀柱を支えている力こそが、器の表面にかかっている「大気」の重さによる圧力、すなわち「大気圧」であると考えました。そして、ガラス管の上部にできた水銀のない空間こそが、まさに「真空」ではないかと考えたのです。この実験は、「自然は真空を嫌うのではなく、大気圧によって物質が押し上げられているのだ」という新しい理解への扉を開きました。約10メートルの水の柱も、約76センチメートルの水銀の柱も、どちらも同じ大気圧によって支えられていたのです。

大気圧の証明と「常識」の転換

トリチェリの実験は非常に重要でしたが、当時の人々はまだ「真空」という概念に抵抗がありました。本当にガラス管の上に「何もない空間」ができているのか、それとも何か別の見えない物質が詰まっているのではないか、といった議論が起こりました。

ここで決定的な役割を果たしたのが、フランスの哲学者で科学者のブレーズ・パスカルでした。パスカルは、もし水銀柱を支えているのが大気圧であるならば、大気の薄い高い場所では大気圧が弱まり、水銀柱の高さが低くなるはずだと考えました。彼は1647年、トリチェリの実験を追試した上で、弟子のペリエにフランスのピュイ・ド・ドーム山頂で同じ実験を行わせました。

結果はパスカルの予測通りでした。山頂では、麓に比べて水銀柱の高さが約8センチメートル低くなったのです。この実験は、水銀柱の高さが場所によって変わること、そしてその変化が大気の量(高さ)と関連していることを明確に示しました。これにより、トリチェリの考えた「大気圧」の存在と、「真空」が実際に存在することが強く裏付けられました。

これらの実験は、アリストテレス以来の「自然は真空を嫌う」という「常識」を覆す大きな転換点となりました。科学的な探求は、権威ある哲学者の言葉ではなく、注意深い観察と再現可能な実験によって進められるべきである、という近代科学の考え方が確立されていったのです。

真空の科学と現代社会

トリチェリとパスカルたちの発見以降、「真空」は恐れるべき「何もない空間」ではなく、科学的に研究・利用される対象となりました。現在の科学における「真空」は、文字通り「何もない」空間ではなく、「物質が極めて少ない状態」を指します。完全な真空を人工的に作り出すことは、現在でも極めて困難です。しかし、高度な真空を作り出す技術は、現代社会の様々な場所で不可欠となっています。

例えば、電球の中でフィラメントが燃え尽きないように内部を真空にしたり、ブラウン管テレビやX線装置の中で電子の動きを妨げないように内部を真空にしたりしています。また、半導体の製造や、粒子加速器、さらには宇宙空間での活動においても、真空環境の利用は欠かせません。

「自然は真空を嫌う」という何千年も信じられてきた「常識」は、ほんの数十年の間に、具体的な実験と観測によって訂正されました。この歴史は、私たちが普段「当たり前」だと思っている現象の中にも、実はまだ隠された原理や、かつて人々が理解できなかった謎が潜んでいることを教えてくれます。そして何よりも、科学の進歩は、権威に盲従するのではなく、自らの目で確かめ、実験によって真実を探求する姿勢から生まれるのだということを、私たちに示唆しているのです。