科学誤謬訂正史

「惑星の軌道は完全な円である」という「常識」はいかに覆されたか:ケプラーの法則が示した宇宙の真実

Tags: 天文学, ケプラー, ティコ・ブラーエ, 楕円軌道, 科学史, 誤謬, 訂正, 惑星, ニュートン, 宇宙

宇宙の天体は「完璧な円」を描くという古い「常識」

はるか昔から、人々は夜空に輝く星々を眺め、その動きに神秘を感じてきました。特に、惑星と呼ばれるいくつかの星が、他の恒星とは異なる複雑な動きをすることは、古来より人々の関心を集めてきました。

古代ギリシャの哲学者たちは、天上の世界は地上の世界とは異なり、完全で不変であると考えました。そのため、天体の運動も最も完全な図形である「円」であり、その動きは一定の速度であるべきだという思想が生まれました。これは、天体の軌道は完全な円であるという「常識」の始まりと言えるでしょう。

この考え方は、その後長い間、ヨーロッパの宇宙観の基礎となりました。特に、2世紀にクラウディオス・プトレマイオスが体系化した天動説(地球が宇宙の中心にあり、他の天体がその周りを回るという考え方)では、惑星の複雑な動きを説明するために、惑星が大きな円軌道上を動きながら、さらにその周りを小さな円(周転円)を描くという非常に複雑なモデルが用いられましたが、ここでも基本的な要素は「円」でした。

16世紀にニコラウス・コペルニクスが地動説(太陽が中心にあり、地球を含む惑星がその周りを回るという考え方)を提唱した際も、彼は依然として惑星の軌道を完全な円であると仮定していました。当時の観測技術の限界や、やはり天体は完璧な動きをするはずだという哲学的な考え方が影響していたのかもしれません。この「天体の軌道は円である」という考え方は、疑われることなく、長い間科学的な「常識」として受け入れられていたのです。

緻密な観測データが突きつけた疑問

この「円軌道」という常識に、決定的な疑問を投げかけることになったのは、16世紀後半から17世紀初頭にかけての、ある天文学者たちの仕事でした。

特に重要な役割を果たしたのが、デンマークの天文学者、ティコ・ブラーエです。ティコは、望遠鏡がまだ発明される前の時代に、肉眼による観測としては驚異的な精度で天体の位置データを蓄積しました。彼は、巨大で頑丈な観測装置を独自に開発し、何十年もの間、毎日欠かさず夜空を観測し続けたのです。

ティコが集めた膨大なデータの中でも、特に惑星、とりわけ火星の軌道に関するデータは、当時の「円軌道」というモデルではどうしても説明しきれないわずかなズレを含んでいました。このズレは非常に小さかったため、それまでの精度の低い観測では見過ごされてきましたが、ティコの緻密な観測によって、無視できないものとなったのです。

ティコ自身は、このデータの持つ意味を完全に理解する前に亡くなってしまいます。しかし、彼の残した宝物とも言える高精度の観測データは、後に彼の助手となったある人物に引き継がれることになります。

ケプラーの苦闘と楕円軌道の発見

ティコのデータを受け継いだのが、ドイツのヨハネス・ケプラーです。ケプラーは熱心なキリスト教徒であり、宇宙の動きには神が定めた美しい数学的な調和が隠されていると信じていました。彼は当初、この調和をプラトンの立体(正多面体)と関連付けようとするなど、神秘主義的な側面も持ち合わせていましたが、同時に極めて厳密な数学的思考と、観測データを何よりも重視する科学的な姿勢も兼ね備えていました。

ケプラーは、ティコが残した火星の軌道データを用いて、その動きを数学的に記述しようと試みました。彼はまず、当時の常識であった円軌道を仮定して計算を行いましたが、ティコの精密なデータとはどうしても一致しません。特に、火星が最も太陽に近づく点(近日点)と最も遠ざかる点(遠日点)での動きが、円軌道では説明できなかったのです。

ケプラーは8年もの間、火星のデータとにらめっこし、様々な軌道の形や速度の変化の法則を仮定しては計算し、データとの比較を行うという、気の遠くなるような作業を続けました。彼は円軌道をわずかに修正した様々な「卵型」のような形なども試しましたが、どれもティコのデータとは完璧には一致しませんでした。

この絶望的な状況の中で、ケプラーはついに大胆な発想に至ります。それは、惑星の軌道は完全な円ではなく、「楕円」なのではないか、というものでした。そして、太陽はその楕円の中心ではなく、どちらか一方の焦点に位置するという仮説を立てたのです。

この仮説に基づいて計算をやり直した結果、驚くべきことに、ケプラーの導き出した楕円軌道は、ティコが観測した火星のデータとほぼ完全に一致しました。これは、何世紀にもわたって信じられてきた「天体は円軌道を描く」という「常識」が、観測データによって覆された歴史的な瞬間でした。ケプラーはこの発見を、1609年に出版した著書『新天文学』の中で発表しました。これが、彼の第一法則「惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描く」として知られるものです。

さらにケプラーは、惑星が楕円軌道を運動する際の速度についても数学的な法則を見つけ出しました。それが第二法則「惑星と太陽を結ぶ線分は、同じ時間であれば同じ面積を掃く」というもので、惑星は太陽に近いほど速く、遠いほど遅く動くことを示しています。そして後に、惑星の公転周期と軌道の大きさ(楕円の長半径)の間には、ある数学的な関係があることを発見しました。これが第三法則「惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する」です。

これらの法則、特に第一法則は、「惑星の軌道は円である」という旧来の常識を明確に否定し、宇宙の運行に関する人々の理解を根本から変えることになりました。

ケプラーの法則から近代宇宙像へ

ケプラーがティコの膨大な観測データを基に発見したこれらの法則は、それまでの天文学における哲学的な思想や幾何学的な美しさへの固執から脱却し、観測データに基づいた数学的な記述を重視するという、近代科学の幕開けを象徴する出来事でした。

ケプラー自身は、なぜ惑星が楕円軌道を描き、そのような法則に従って動くのかという物理的なメカニズムを完全に理解していたわけではありませんでした。彼は太陽から何らかの力が及んでいると考えていましたが、その性質は不明でした。

その問いに答えたのが、その後のアイザック・ニュートンです。ニュートンは、ケプラーの法則を数学的に解析することで、天体の運動を支配する普遍的な法則「万有引力」を発見しました。万有引力は、地球上の物体の落下を説明するのと同じ力が、月や惑星の運動も支配していることを示し、地上と天上の区別という古い考え方を打ち破りました。ニュートンの法則によれば、質量を持つ物体の間には引力が働き、その力によって惑星は太陽の周りを楕円軌道を描いて運動するのです。

こうして、ケプラーによって観測的に発見された楕円軌道は、ニュートンの万有引力によって理論的な裏付けを得て、近代的な天文学や物理学の礎となりました。

観測こそが「常識」を塗り替える力

何世紀も信じられてきた「惑星の軌道は完全な円である」という「常識」は、ティコ・ブラーエの忍耐強い精密観測と、ヨハネス・ケプラーの粘り強い数学的解析によって覆されました。そして、その背景にある物理法則は、さらにニュートンによって解き明かされました。

この歴史的なエピソードは、科学における「常識」がいかにして生まれ、いかにして訂正されていくのかを非常によく示しています。哲学的な美しさや既存の理論がどんなに魅力的であっても、科学は最終的には観測や実験といった「事実」に基づいて判断されるということです。ティコのような観測者が事実を正確に記録し、ケプラーのような理論家がその事実と向き合い、古い常識に囚われずに新しい法則を見出す。そして、ニュートンのように、その法則の背後にある普遍的な原理を探求していく。このような営みの積み重ねによって、科学は少しずつ、しかし確実に真実に近づいていくのです。

私たちが日頃触れる情報の中にも、「常識」として広く信じられていることが含まれています。しかし、過去の科学史が教えてくれるように、その「常識」が常に正しいとは限りません。新しいデータや知見が出てきたとき、それらを真摯に受け止め、既存の考え方を見直す姿勢が、科学においても、そして私たちが様々な情報を判断する上でも非常に重要であると言えるでしょう。ケプラーが火星のデータにこだわり続けたように、目の前の「事実」を注意深く見つめることの大切さを、この宇宙の軌道を巡る物語は静かに語っているように思えます。