科学誤謬訂正史

「脳の表面の形で性格や才能がわかる」という「常識」はいかに覆されたか:骨相学の歴史とその否定

Tags: 骨相学, 脳科学, 科学史, 疑似科学, 機能局在論

「頭の形を見れば、その人の性格や才能がわかる」

もしそう言われたら、あなたはどのように感じられるでしょうか。「まさか」と思われる方がほとんどでしょう。しかし、今から200年ほど前のヨーロッパでは、このような考え方が真剣に信じられ、大きなブームとなっていた時代がありました。それが「骨相学(こっそうがく)」です。

この記事では、かつての科学界で一時的に「常識」として扱われ、多くの人々を魅了した骨相学が、いかにして科学的根拠のない誤りであると証明され、歴史の表舞台から姿を消していったのかを解説していきます。

骨相学とは? 頭の形から内面を探るという「常識」

骨相学は、18世紀末から19世紀にかけて、オーストリアの医師フランツ・ヨーゼフ・ガル(Franz Joseph Gall, 1758-1828)によって提唱された学説です。彼の考えは、非常に革新的でありながら、同時に決定的な誤りを含んでいました。

ガルの主張の核は、以下の2点に集約されます。

  1. 脳は精神活動や性格の座である: 当時はまだ脳の機能が十分に理解されておらず、心臓などが精神の中枢と考えられていた時代もありました。その中でガルが脳の重要性を強調した点は、現代につながる大きな洞察でした。
  2. 脳には機能局在がある: 脳の異なる部位が、それぞれ特定の精神的な機能(例えば、記憶力、判断力、音楽の才能、慈愛の心など)を司っていると考えました。これもまた、現代の脳科学で「機能局在論」として発展している重要な概念です。

ここまでは、現代の脳科学の視点から見ても、ある程度先見の明があったと言えます。しかし、骨相学が「常識」として広く受け入れられ、そして誤りとなったのは、ここから先のガルの主張でした。

  1. 脳の各部位の発達の程度は、その部位に対応する頭蓋骨の表面の隆起や窪みとして現れる: つまり、「音楽を司る脳の部位がよく発達している人」は、その部位に対応する頭の表面に膨らみがあり、その膨らみを見れば音楽の才能があることがわかる、と主張したのです。

ガルは、知人の頭の形と性格や能力を観察し、特定の頭の部位と特定の精神機能を結びつけようとしました。例えば、「殺人的な傾向」は耳の後ろ、「詩の才能」は眉の上など、30以上の機能と頭の領域を対応させた「骨相図」を作成しました。弟子のヨハン・シュプルツハイム(Johann Spurzheim, 1776-1832)がこれをさらに体系化し、世界中に広めていきました。

この考えは、当時の人々にとって非常に魅力的に映りました。なぜなら、複雑な人間の性格や能力が、触れることのできる頭の形という物理的な特徴で読み取れる、と考えられたからです。教育者、雇用主、果ては結婚相手を探す人々までが、骨相学の専門家(骨相家)に頭を触ってもらい、診断を受けることが流行しました。まさに、頭の形がその人の全てを物語るかのような「常識」として、社会に浸透していったのです。

なぜ骨相学は生まれ、広く信じられたのか

骨相学がこれほどまでに流行した背景には、いくつかの要因があります。

まず、18世紀から19世紀にかけては、人間そのものへの関心が高まった時代でした。哲学や心理学が発展し、「心」や「知性」を科学的に理解しようとする試みが始まっていました。ガルが登場した頃は、まだ脳の機能に関する科学的な知見が非常に乏しく、手探りの状態でした。そんな中で、脳の機能と物理的な特徴を結びつける骨相学は、一見すると非常に「科学的」なアプローチに見えたのです。

また、骨相学は非常に分かりやすく、診断という形でお金になるビジネスモデルでもありました。骨相家は各地で講演を行い、頭蓋骨の模型や骨相図を販売しました。人々は自分の才能や欠点を知りたい、あるいは他人の内面を理解したいという欲求を満たすために、こぞって骨相学を受け入れました。

さらに、当時の科学技術や研究手法には限界がありました。生きた人間の脳の活動を直接調べる方法はなく、脳の機能を研究するには、事故や病気による脳損傷後の行動の変化を観察したり、死後の脳を解剖したりするくらいしかありませんでした。このような状況下では、ガルのような大胆な仮説が検証されることなく、ある程度の説得力を持って受け入れられる余地があったと言えます。

科学的検証の壁にぶつかった骨相学

しかし、骨相学は次第に科学的な批判にさらされるようになります。最も有力な反証を行った一人が、フランスの生理学者ピエール・フルーランス(Pierre Flourens, 1794-1867)です。

フルーランスは、動物(主にハトやウサギ)を用いて、脳の特定の部位を切除または破壊する実験を行いました。もし骨相学が正しいのであれば、例えば視覚を司るとされる部位を破壊すれば、他の機能は保たれたまま視覚だけが失われるはずです。しかし、フルーランスの実験結果は、ガルの主張とは異なるものでした。

フルーランスの実験では、脳の特定の部位を破壊しても、ガルが主張するような個別の機能が完全に失われるのではなく、全体的な機能が低下したり、他の部位がその機能を補ったりする様子が観察されました。彼はこの結果から、脳は全体として機能するのであり、骨相学のように特定の部位が特定の機能を厳密に司っているわけではない、と結論づけました。これは「脳全体の機能説」と呼ばれる考え方につながり、骨相学の機能局在論を否定する強力な証拠となりました。

また、統計学的な検証も骨相学に不利に働きました。頭の形と、対応するとされる性格や能力との間に、統計的に有意な相関が見られないことが明らかになっていったのです。例えば、音楽家や数学者の頭の形に、ガルが特定した「音楽」や「計算」の部位の隆起が特別に見られるわけではない、といったデータが示されました。

骨相学の衰退と真の脳科学の発展

このような科学的な反証が進むにつれて、骨相学は次第にその科学的な信頼性を失っていきました。医学界や学術界からは、根拠のない疑似科学であるとして批判されるようになります。

骨相学が衰退していく一方で、脳機能の研究は着実に進歩しました。特に、19世紀後半には、フランスのポール・ブローカ(Paul Broca, 1824-1880)やドイツのカール・ウェルニッケ(Carl Wernicke, 1848-1905)らが、脳の特定の損傷部位が特定の言語障害(失語症)を引き起こすことを発見しました。これは、脳に機能局在があることの強力な証拠であり、真の脳機能局在論の基礎となりました。

ブローカ野やウェルニッケ野の発見は、骨相学が主張したような、頭蓋骨の形に基づいた曖昧な機能局在ではなく、臨床観察や解剖に基づく、より精密で科学的な脳機能の研究が有効であることを示しました。これにより、骨相学は科学の一分野として認められる余地を完全に失い、流行としての骨相学も次第に廃れていきました。

現在の脳科学と骨相学から学ぶこと

現代の脳科学は、かつての骨相学が夢見たよりもはるかに精緻なレベルで、脳の構造と機能を理解しようとしています。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)のような脳画像診断技術の発展により、生きた人間の脳の活動をリアルタイムで観察することが可能になり、特定の認知機能や行動が脳のどの領域と関連しているのかが詳細に研究されています。

ただし、現代の脳機能局在論は、骨相学のように脳の各部位が特定の機能を単独で司っている、という単純なものではありません。多くの機能は、脳の様々な領域が連携して働く「ネットワーク」によって実現されていると考えられています。例えば、記憶一つをとっても、海馬、前頭前野、扁桃体など、複数の領域が複雑に関わり合っています。

骨相学の事例は、「科学的常識」がいかに見かけ上の論理や流行によって形作られ得るか、そしてそれが後の科学的な検証によっていかに覆されるかを示す典型的な例です。頭の形を見れば性格がわかる、というシンプルで分かりやすい説明は魅力的でしたが、それは厳密な科学的根拠を伴っていませんでした。

この歴史から私たちが学べることは、科学的な主張は常に客観的なデータや実験によって裏付けられている必要がある、ということです。安易な結論に飛びつかず、批判的な視点を持ち続けることの重要性を、骨相学の栄枯盛衰は教えてくれていると言えるでしょう。科学知識は静的なものではなく、常に新しい発見によって更新され、より正確な理解へと進んでいく動的な営みであることを、この事例は改めて示唆しているのではないでしょうか。