「光は波か粒か?」という「常識」はいかに覆されたか:二重性の発見が変えた物理学
導入:光の正体を巡る古い問い
私たちの周りに満ちている光。晴れた日の日差しや、部屋を照らす明かりなど、その存在は当たり前のように感じられます。しかし、この光が一体何でできているのか、その正体を巡っては、かつて科学者の間で激しい論争が繰り広げられていました。
「光は波なのか? それとも小さな粒(粒子)なのか?」
これは、物理学における最も古く、そして最も根源的な問いの一つでした。長らく科学界では、光は波である、あるいは光は粒子である、というどちらか一方の考え方が「常識」として支配的でした。しかし、数々の実験と理論の発展を経て、この二者択一的な「常識」は覆され、光の真の姿が明らかになっていったのです。
背景:ニュートンとホイヘンス、二つの有力な説
光の性質に関する議論は、古代ギリシャにまで遡ると言われていますが、近代科学において大きな影響力を持ったのは、17世紀の二人の偉大な科学者による説でした。
一人は、万有引力の法則などで知られるアイザック・ニュートン卿です。彼は、光は非常に小さな粒子の流れであると唱えました。これを粒子説と呼びます。彼は、光がまっすぐ進むこと(直進)や、鏡で跳ね返ること(反射)、水面などで折れ曲がること(屈折)といった現象を、粒子が弾性衝突を起こすモデルでうまく説明できると考えました。ニュートンの圧倒的な名声もあり、彼の粒子説は当時の科学界で広く受け入れられていきます。
もう一人は、オランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンスです。彼は、光はエーテルという架空の物質の中を伝わる波であると考えました。これを波動説と呼びます。ホイヘンスは、波の性質として知られる「重ね合わせの原理」を使うことで、光の反射や屈折だけでなく、二つの光が重なり合って強め合ったり弱め合ったりする「干渉」や、光が障害物の後ろに回り込む「回折」といった現象も説明できる可能性を示しました。
当時の実験技術では、光の干渉や回折を明確に観測することが難しかったため、ニュートンの権威も相まって、粒子説の方が優勢な時代が続きました。つまり、「光は粒子である」という考えが、一時的に科学界の有力な「常識」となったのです。
誤りの発見:波動説を決定づけた実験たち
19世紀に入ると、実験技術が向上し、光に関する新しい知見が得られるようになります。特に重要な役割を果たしたのが、イギリスのトマス・ヤングとフランスのオーギュスタン・ジャン・フレネルです。
ヤングは、二重スリット実験と呼ばれる有名な実験を行いました。これは、一つの光源からの光を二つの細いスリット(隙間)に通し、その後ろに置いたスクリーンに映る模様を観察するというものです。もし光が単なる粒子であれば、二つのスリットを通った粒子の流れがスクリーン上に二本の明るい帯を作るだけのはずです。しかし、ヤングが観測したのは、明るい帯と暗い帯が交互に並ぶ縞模様でした。これは、水面にできる波紋が重なり合って干渉縞を作るように、光が波として振る舞っていると考えると非常に自然に説明できる現象でした。光が波のように強め合ったり弱め合ったりしている証拠だったのです。
フレネルもまた、回折現象などを詳しく研究し、光の波動説を強く支持する理論を展開しました。これらの実験と理論によって、光が波動的な性質を持つことが次第に明らかになり、ニュートンの粒子説は苦境に立たされます。
訂正のプロセス:光は電磁波であるという「常識」へ
19世紀後半になると、スコットランドのマクスウェルがマクスウェルの方程式を完成させ、電気と磁気の現象を統一的に記述しました。この方程式から、電場と磁場の変化が互いを誘発し合いながら空間を伝わる「電磁波」が存在することが理論的に予言されました。さらに驚くべきことに、この電磁波が空間を伝わる速度が、光速と一致したのです。
これにより、光の正体は電磁波という「波」であるという考え方が揺るぎないものとなりました。光は電磁波のごく一部であり、波長によって性質が異なる(可視光、紫外線、X線、電波など)という理解が進みました。19世紀末には、「光は波である」、より具体的には「光は電磁波である」ということが科学界の揺るぎない「常識」となっていたのです。粒子説は、もはや過去の遺物と考えられていました。
現在の理解:波でもあり、粒子でもある「二重性」
ところが、20世紀に入ると、この「光は電磁波である」という揺るぎない「常識」にも再び疑問が投げかけられる出来事が起こります。
まず、ドイツのマックス・プランクが、熱を帯びた物体から放出される光のエネルギーが連続的な値ではなく、ある最小単位(エネルギー量子)の整数倍としてしか存在できないという量子仮説を提唱しました。これは、エネルギーが飛び飛びの値をとるという、これまでの物理学の考え方とは全く異なるものでした。
そして、1905年、後にノーベル賞を受賞するアルベルト・アインシュタインが、光電効果(金属に光を当てると電子が飛び出す現象)を説明するために、プランクの量子仮説を発展させました。アインシュタインは、光自体がエネルギーの粒、つまり光量子(光子)として振る舞うと考えれば、光電効果がうまく説明できることを示しました。これは、光が粒子的な性質を持つことを強く示唆する画期的なアイデアでした。
ヤングの二重スリット実験は光の波動性を示し、アインシュタインによる光電効果の説明は光の粒子性を示しました。どちらの実験も紛れもない事実を示しているにも関わらず、その解釈は互いに矛盾するように見えました。科学者たちは、この不可思議な状況に頭を悩ませます。
この矛盾を解消したのが、量子力学という新しい物理学の理論です。量子力学は、光のようなミクロの世界の存在は、波としての性質と粒子としての性質の両方を併せ持っているということを明らかにしました。これを波と粒子の二重性と呼びます。光は、あるときは波のように振る舞い、またあるときは粒子のように振る舞うのです。どちらの性質が現れるかは、観測の方法や状況によって異なります。例えば、干渉や回折の実験では波の性質が顕著に現れ、光電効果のような実験では粒子の性質が顕著に現れます。
これは、私たちが日常的に経験するマクロな世界での常識(例えば、ボールは粒子であり、水面の波は波である、という明確な区別)からは考えられない、非常に奇妙で直感に反する性質です。しかし、この波と粒子の二重性という概念は、その後の量子力学の発展の基礎となり、現代物理学の根幹をなす考え方となりました。
まとめ:科学的探求は常識を疑うことから始まる
「光は波か粒子か?」という問いを巡る歴史は、科学的「常識」がいかに変わりうるか、そして真実の探求がいかに困難で、時に直感に反するものであるかを示しています。
かつてはニュートンの権威のもと「光は粒子」という説が優勢でした。しかし、精密な実験によって「光は波」という説が強力に支持され、それが新たな「常識」となりました。さらに時代が進み、ミクロの世界の現象を詳しく調べた結果、「光は波でもあり、粒子でもある」という、さらに複雑で奥深い真実が明らかになったのです。
この光の二重性の発見は、単に光の性質を理解しただけでなく、私たちの宇宙観や物理学のあり方そのものを大きく変えるパラダイムシフトをもたらしました。この事例から学べるのは、科学は固定観念にとらわれず、常に新しい証拠に基づいて自らの考え方を修正していく営みであるということです。そして、自然界は時に私たちの「常識」や直感を遥かに超えた不思議な姿を見せてくれる、探求しがいのある対象であるということを改めて感じさせられます。