「子は親の中間」という「常識」はいかに覆されたか:メンデルの遺伝法則が示した遺伝の単位
なぜ「子は親の中間」と信じられていたのでしょうか?
私たちの身の回りを見渡すと、多くの生物の形質、例えば身長や肌の色、花の大きさなどが、両親の形質の中間のように見えることがあります。背の高い親と背の低い親から生まれた子が、ちょうど中間くらいの身長になる、といった具合です。あるいは、赤い花と白い花を掛け合わせると、ピンク色の花が咲くといった例も観察できます。
こうした経験から、古くから人々は「親の形質は子の中で混ざり合って伝わるものだ」と漠然と考えていました。この考え方は「混合遺伝説」と呼ばれています。当時の人々にとって、これはごく自然で合理的な「常識」だったと言えるでしょう。遺伝のメカニズムについて何も知られていない時代においては、最もらしい説明だったのです。
この混合遺伝説は、進化論の提唱者であるチャールズ・ダーウィンをも悩ませました。自然選択によって有利な形質を持つ個体が生き残り、その形質が子に伝わっていくことで進化が起こると考えたダーウィンにとって、もし形質が単に混ざり合ってしまうだけなら、有利な形質も世代を重ねるごとに薄まって消えてしまうのではないか?という疑問が生じたのです。混合遺伝説は、進化がどのように継続するのかをうまく説明できませんでした。
修道士メンデルの緻密な実験
この「混合遺伝説」という長年の常識に、科学的な光を当てた人物がいました。グレゴール・メンデル(1822年-1884年)です。オーストリアの修道士であり、自然科学を学んだ彼は、現在のチェコにある修道院の庭で、エンドウマメを使った交配実験を始めました。
メンデルが偉大だったのは、彼のアプローチがそれまでの研究者とは全く異なっていた点です。彼は、身長や花の大きさといった曖昧な形質ではなく、「種子の形(丸いか、しわがあるか)」「さやの色(緑か、黄色か)」「花の色(紫か、白か)」のように、明確に区別できる形質に注目しました。そして、一度に多くの個体を扱い、どの形質が次の世代にどのように現れるかを、数を数えて統計的に分析したのです。これは当時の生物学においては画期的な手法でした。
「遺伝因子」の存在と法則の発見
メンデルは、親から子へ形質が伝わる際に、形質を決める「何か」が単位として存在すると考えました。彼はそれを「遺伝因子」(彼はドイツ語でElemente、要素と呼びましたが、後に「遺伝子」Geneと呼ばれるようになります)と呼びました。
エンドウマメの実験から、彼はいくつかの重要な法則を見出しました。
- 優性の法則(顕性の法則): ある形質について、両親が異なる形質(例:丸い種子と、しわのある種子)を持つ場合、子は片方の親の形質だけを示し、もう片方の親の形質は表面に現れません。現れる方を「顕性(優性)」、現れない方を「潜性(劣性)」と呼びました。(例:丸い種子としわのある種子を掛け合わせると、子はすべて丸い種子になります。この場合、「丸い」が顕性です。)
- 分離の法則: 子が持つ二つの「遺伝因子」は、孫の世代を作る際に分離し、孫はどちらかの遺伝因子を一つだけ受け継ぎます。これにより、子の代では見えなかった潜性形質が、孫の代で再び現れることがあります。(例:先の丸い種子の孫には、丸い種子としわのある種子が約3:1の比率で現れます。)
- 独立の法則: 二つ以上の異なる形質(例:種子の形とさやの色)に注目した場合、それぞれの形質を決める遺伝因子は互いに影響せず、独立して子に伝わります。
これらの法則が示すのは、形質は親から子へ「混ざり合って」伝わるのではなく、「遺伝因子」という単位で「分離して」「独立に」伝えられるということです。これは、当時の混合遺伝説とは全く異なる画期的な考え方でした。
世紀を越えた「再発見」
メンデルは彼の発見をまとめ、1865年に地元の学会で発表し、論文も出版しました。しかし、彼の発見は当時の主流の科学者たちにほとんど理解されず、注目されることはありませんでした。彼の数学的なアプローチは生物学者には馴染みが薄く、また「遺伝因子」という目に見えない単位の存在を考えるのは、当時の科学思想からすると受け入れがたかったのかもしれません。
メンデルの論文は、文字通り日の目を見ることなく、約30年間忘れ去られていました。しかし、1900年になって、オランダのフーゴー・ド・フリース、ドイツのカール・コレンス、オーストリアのエーリッヒ・チェルマクという3人の研究者が、それぞれ独立に植物の交配実験を行い、メンデルと全く同じ法則を「再発見」したのです。
彼らがメンデルの論文の存在を知ったのは、自分たちの発見をまとめ終えた後でした。彼らはメンデルの業績を称賛し、彼こそが遺伝学の基礎を築いた人物であることを広く認めさせました。これを機に、メンデルの法則は急速に科学界に受け入れられ、「混合遺伝説」という長年の常識は覆されました。
現在の理解とメンデルの遺産
メンデルが「遺伝因子」と呼んだものは、現在ではDNAにコードされた「遺伝子」としてその実体が明らかになっています。遺伝子は染色体上にあり、減数分裂という特別な細胞分裂の際に分配されることで、メンデルが発見した「分離の法則」などが説明できます。
メンデルの法則は、現在でも高校の生物の授業で必ず学ぶ、遺伝学の最も基本的な原理です。もちろん、多くの形質は一つの遺伝子だけでなく、複数の遺伝子や環境が複雑に絡み合って決まります。そのため、単純なメンデルの法則だけでは説明できないケースも多いですが、その根底には、形質が「遺伝子」という単位で受け継がれるというメンデルが発見した原則があるのです。
まとめ
「子は親の中間」という素朴な観察から生まれた「混合遺伝説」は、緻密な科学的手法を用いたメンデルの実験によって否定されました。彼の発見した遺伝の法則は、当時の常識を覆し、遺伝子が単位として存在するという考え方の基礎を築きました。メンデルの業績は一度は忘れ去られましたが、後の科学者による再発見を経て、現代遺伝学の礎となっています。
このエピソードは、科学における「常識」が、より正確な観察や論理的な思考によって、いかに覆され、新しい知見に置き換えられていくかを示す好例と言えるでしょう。そして、科学の進歩は、時代を超えて連綿と受け継がれる研究と発見の積み重ねの上に成り立っていることを改めて教えてくれます。