科学誤謬訂正史

「重いものほど速く落ちる」という「常識」はいかに覆されたか:ガリレオの実験と落体の法則

Tags: ガリレオ, アリストテレス, 物理学史, 科学史, 落体の法則

「科学誤謬訂正史」へようこそ。このサイトでは、かつての科学的な「常識」が、その後の発見や研究によってどのように誤りであったと判明し、訂正されてきたのかを辿ります。

今回は、私たちが日常生活で当たり前だと思いがちな、物体の落下に関する古い「常識」に焦点を当てたいと思います。「重いものほど、軽いものより速く地面に落ちる」。多くの方が、子供の頃に「石ころと羽を同時に落とすと、石ころの方が先に地面につく」といった経験から、この考えに頷かれるのではないでしょうか。実際、この考えは古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱して以来、約2000年もの間、ヨーロッパを中心に科学的な「常識」として広く受け入れられていました。

約2000年続いた「重いものほど速く落ちる」という常識

アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)は、古代ギリシャを代表する偉大な哲学者であり、自然についても深く考察しました。彼の物理学では、物体はそれぞれの「自然な場所」に戻ろうとする性質を持つと考えられていました。例えば、石のような重いものは地上的な要素が多く、より速く地面という自然な場所に向かう。一方、煙のような軽いものは空気的な要素が多く、より速く空という自然な場所に向かうと説明したのです。

この考え方は、私たちの日常的な観察、例えば重い石と軽い羽を同時に落とせば石の方が速く落ちるという経験と一致するように見えました。また、当時の科学は実験よりも理論や推論が重視される傾向にあったことも、この「常識」が長く支持された一因と言えるでしょう。権威あるアリストテレスの哲学体系の一部として、この運動論は揺るぎないものとして受け継がれていったのです。

「常識」への疑問:ガリレオ・ガリレイの挑戦

しかし、このアリストテレスの運動論に疑問を投げかけた人物が現れます。イタリアの科学者、ガリレオ・ガリレイ(1564年-1642年)です。彼は、単なる観察や推論だけでなく、実際に実験を行い、数学を用いて自然現象を記述することの重要性を強く主張しました。

ガリレオは、「重いものほど速く落ちる」という考えに潜む矛盾を指摘しました。もし、重い石(例えば10kg)が軽い石(例えば1kg)より速く落ちるとするならば、この二つの石を紐でつないで一緒に落としたらどうなるでしょうか?

アリストテレスの考えに基づけば、軽い石は重い石の落下を妨げ、全体の落下速度は遅くなるはずです。しかし、二つの石を合わせた全体の重さは11kgとなり、元の10kgの石単体よりも重くなっています。アリストテレスの「重いものほど速く落ちる」という考えに従えば、11kgの物体は10kgの物体よりも速く落ちるはずです。つまり、「紐でつなぐ」という行為が、全体の落下速度を遅くも早くもするという矛盾した結論になってしまいます。

ガリレオは、このような思考実験を通じて、物体の落下速度は質量には依存しないのではないか、と考えたのです。そして、この考えを検証するために様々な実験を行いました。有名な「ピサの斜塔から物体を落とした」という逸話は、後世の創作である可能性が高いと言われていますが、ガリレオが実際に斜面を使って球を転がす実験を繰り返し行ったことは記録に残っています。斜面を使うことで、落下速度を遅くして時間を測定しやすくしたのです。これらの実験から、彼は物体が落下する際に速度が一定の割合で増していく(等加速度運動をする)こと、そしてその加速の仕方は物体の質量によらないことを突き止めました。

新しい理解の広まりと近代物理学へ

ガリレオの発見は、当時のアリストテレス物理学を信奉する学者たちから激しい抵抗を受けました。彼の考えは、長く受け継がれてきた権威ある「常識」を根本から覆すものだったからです。しかし、ガリレオは自身の著書、特に晩年の大著『二つの新科学対話』などを通じて、自身の実験結果と数学的な推論を粘り強く説明しました。

彼の新しい物理学は、その後の科学者たち、特にアイザック・ニュートン(1643年-1727年)へと引き継がれていきます。ニュートンは、ガリレオの研究を発展させ、有名な運動の法則と万有引力の法則を体系化しました。ニュートンの理論によれば、物体に働く重力はその質量に比例しますが、物体の加速度は力と質量によって決まる(運動方程式 F=ma)ため、質量が大きくなっても重力も同じ比率で大きくなるため、結局、重力によって生じる加速度(重力加速度)は物体の質量によらない、ということが導き出されます。これは、ガリレオの実験が示唆した結論と見事に一致しました。

現在の理解:真空と空気抵抗

現在では、ガリレオやニュートンによって示された「物体は質量に関わらず、同じ重力加速度で落下する」という法則が正しい科学的理解として定着しています。ただし、これは「真空中で」または「空気抵抗が無視できる場合」という条件下での話です。

私たちが日常生活で目にする物体の落下では、空気抵抗の影響が無視できません。例えば、先ほどの石と羽の例のように、表面積が大きく軽い羽は、重い石よりも大きな空気抵抗を受けます。この空気抵抗が、羽の落下速度を遅くしているのです。もし空気をなくした真空中で石と羽を同時に落とせば、両者は全く同じ速度で地面に到達します。これは、月の表面で実際に行われた実験によっても確認されています。

まとめ:直感と科学的真実

「重いものほど速く落ちる」というアリストテレス以来の「常識」が覆された歴史は、私たちの直感や日常経験がいかに科学的な真実と異なる場合があるかを示しています。そして、この訂正は、単なる推論や観察だけでなく、体系的な実験と数学的な分析こそが自然の法則を解き明かす鍵であることを、私たちに教えてくれます。

ガリレオ・ガリレイによるこの革命的な転換は、その後の物理学の発展に計り知れない影響を与え、近代科学の扉を開く重要な一歩となりました。過去の「常識」がどのように生まれ、どのように疑問視され、どのように新しい知見によって置き換えられていったのかを知ることは、科学の性質や、私たちがどのように世界を理解していくべきかを考える上で、非常に示唆に富むと言えるでしょう。