科学誤謬訂正史

「物質は無限に分割できる」という「常識」はいかに覆されたか:原子論の勝利と物質観の大転換

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身の回りのものは「つぶつぶ」でできている?

机も、空気も、水も、私たちの体も、突き詰めていくと非常に小さな「つぶつぶ」でできている。現在の科学では、これは常識中の常識と言えるでしょう。この「つぶつぶ」、つまり原子や分子という概念は、現代の化学や物理学、生物学など、あらゆる科学分野の基礎となっています。

しかし、かつて人々が信じていた「常識」は、これとは全く異なるものでした。それは、「物質は無限に分割できる、連続体である」という考え方です。水を例にとるなら、いくら細かく分けても、それは常に水であり、どこまでも無限に細分化できる、という感覚です。

この「連続体」という考えは、私たちの直感にはむしろ近いかもしれません。例えば、絵の具を水に溶かすと、色が均一に広がります。どこを切り取っても同じ色のように見えます。物質がもし小さな粒でできているなら、もっと「粒々」した性質が見えても良さそうなのに、そうは感じられない。だからこそ、「どこまでも滑らかにつながっている」という連続体の考え方は、長く人々に受け入れられていました。

この、現代から見れば意外な「旧常識」が、いかにして覆され、私たちの物質観が根底から変わっていったのか、その歴史をたどってみましょう。

アリストテレスの勝利とデモクリトスの原子論

「物質は連続体である」という考え方が強く根付いた背景には、古代ギリシャ哲学の偉大な巨人、アリストテレスの影響があります。アリストテレスは、世界は火、空気、水、土の四大元素からなり、これらの元素は連続的につながっていると考えました。彼の哲学は、古代から中世、ルネサンス期にかけて、西洋世界の知的な基盤として絶大な影響力を持っていました。

一方、アリストテレスと同じ時代、デモクリトスという別の哲学者は、全く逆の「原子論」を唱えていました。彼は、物質はそれ以上分割できない究極の粒子「アトム(atomos、ギリシャ語で「分割できないもの」の意)」でできていると考えました。様々な種類の原子が、異なる形や大きさで存在し、それらが組み合わさったり離れたりすることで、私たちの目に映る多様な物質やその変化が生じると考えたのです。デモクリトスの原子論は、非常に先見の明があるものでしたが、実験による裏付けがあったわけではなく、また、アリストテレスの連続体説に比べて、当時の感覚や哲学体系とは馴染みにくい面がありました。

結果として、古代においてはアリストテレスの連続体説が優勢となり、デモクリトスの原子論は長い間、科学の表舞台から遠ざけられることになります。数千年もの間、「物質は無限に分割できる連続体である」という考え方が、ヨーロッパの基本的な物質観として受け継がれていきました。

化学反応の法則が原子の存在を示唆する

この長い歴史的な流れが変わるきっかけとなったのは、近代科学、特に化学の発展でした。18世紀末から19世紀初頭にかけて、化学者たちは精密な実験を積み重ねる中で、いくつかの重要な法則を発見しました。

これらの法則は、もし物質が連続体であるならば、説明が非常に困難でした。しかし、もし物質が原子という決まった重さを持つ最小単位からできており、化学反応はその原子が特定の数の比率で組み合わさったり離れたりする過程だと考えれば、これらの法則が驚くほど自然に説明できるのです。

ここで登場するのが、イギリスの科学者ジョン・ドルトンです。ドルトンは、これらの化学反応の法則を説明するために、デモクリトス以来顧みられることの少なかった原子論を復活させ、近代原子論として体系化しました。彼は、元素はそれぞれ決まった種類の原子からなり、同じ種類の原子はすべて同じ性質と質量を持つと考えました。そして、化合物は異なる種類の原子が、簡単な整数比で結合してできていると提唱したのです。このドルトンの原子説は、当時の化学現象をみごとに説明し、化学を一気に近代的な学問へと発展させる原動力となりました。

原子は「仮説」か?実在を巡る論争

ドルトンの原子説は化学の世界で広く受け入れられていきましたが、原子そのものはあまりにも小さく、直接見たり感じたりすることができませんでした。そのため、「原子はあくまで化学現象を説明するための便利な『仮説』上の概念であり、実在するものではない」と考える科学者も少なくありませんでした。特に、熱力学や統計力学の発展に貢献した物理学者ボルツマンは、原子や分子の実在を強く信じ、その理論を展開しましたが、当時の権威的な物理学者たちから厳しい批判を受け、苦悩しました。

原子が単なる仮説ではなく、実際に存在する物理的な実体であるという確証が求められていました。その決定的な証拠をもたらしたのが、意外な現象の理論的な解明でした。

植物学者ブラウンが、顕微鏡で水面に浮かべた花粉が不規則に動き回る現象を発見したのが1827年。これは「ブラウン運動」として知られていましたが、その原因は長らく不明でした。そして20世紀初頭、若き物理学者アルベルト・アインシュタインが、このブラウン運動の原因は、水中の見えないほど小さな分子がランダムに花粉にぶつかることによるものだと理論的に説明したのです。さらにフランスの物理学者ペランは、アインシュタインの理論に基づいて精密な実験を行い、ブラウン運動の観測から原子や分子のサイズや数を計算し、その実在を揺るぎないものとしました。

アインシュタインの理論とペランの実験によって、原子や分子は単なる仮説ではなく、間違いなく存在する物理的な実体であることが、多くの科学者に受け入れられました。ボルツマンの原子実在論はついに認められ、ブラウン運動の解明は、物理学史における重要な転換点の一つとなりました。

現在の理解と物質観の進化

ブラウン運動の解明以降、原子や分子の実在は科学の常識となり、物質が究極的には粒子の集まりであるという「原子論」が揺るぎない地位を確立しました。その後、原子そのものがさらに陽子、中性子、電子といった素粒子から構成されていること、そしてそれらの素粒子もさらに小さなクォークやレプトンからできていることなど、物質の階層構造が次々と明らかになっていきました。量子力学の登場により、これらの粒子が持つ奇妙で非直感的な性質(波としての性質や不確定性など)も理解が進んでいます。

古代ギリシャ以来の「物質は無限に分割できる連続体」という常識は、近代化学と物理学の発展、そして原子・分子の実在を証明する決定的な証拠によって、完全に覆されました。

この歴史は、「常識」がいかに確固たるものに見えても、精密な観察や実験、そして論理的な思考によって、いつでも問い直され、訂正されていく可能性があることを示しています。私たちの身の回りの世界は、一見連続的で滑らかに見えますが、その本質は小さな「つぶつぶ」が集まってできています。このミクロの視点が、現代科学の驚くべき進歩を可能にしたのです。

科学は、決して完成された知識体系ではなく、常に進化し続ける探求のプロセスです。過去の誤謬を知ることは、現在の知識がいかにして築かれてきたかを知るだけでなく、未来の発見への示唆を与えてくれることでしょう。