科学誤謬訂正史

「体液バランスで病気や性格が決まる」という「常識」はいかに覆されたか:古代の四体液説とその否定

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古代から続く「常識」:体液バランスが全てを決める?

風邪をひいてだるかったり、憂鬱な気分になったり。私たちの体調や心の状態は、その時々で変化します。現代では、ウイルス感染やホルモンバランス、脳内の神経伝達物質などが原因として挙げられますが、かつて人類が抱いていた「常識」は全く異なるものでした。それは、「体の中を流れるいくつかの液体のバランスによって、病気も性格も決まる」という考え方です。

これは「体液説」、特に古代ギリシャ医学で確立された「四体液説(したいえきせつ)」として知られています。この説では、人間の体内には血液粘液黄胆汁(おうたんじゅう)黒胆汁(こくたんじゅう)という4種類の体液が存在し、これらのバランスが保たれていれば健康であり、いずれかの体液が過剰になったり不足したりすると病気になると考えられていました。さらに、この体液のバランスが個人の気質や性格までも決定づけると信じられていたのです。例えば、「楽天的な人は血液が多い」「怒りっぽい人は黄胆汁が多い」「冷静な人は粘液が多い」「憂鬱な人は黒胆汁が多い」といった具合です。英語で「ユーモア(humor)」という言葉が「気質」や「おかしみ」を意味するのは、この体液説(ラテン語でhumorは体液を意味する)に由来していると言われています。

この考え方は、古代ギリシャの医師ヒポクラテス(紀元前5世紀頃)に始まり、ローマ時代の医師ガレノス(2世紀頃)によって体系化されました。ガレノスの医学は、その後千数百年もの間、ヨーロッパやイスラム世界で医学の「絶対的な常識」として受け入れられることになります。当時の人々にとって、病気や体調不良という目に見えない現象を説明する、非常に分かりやすい理論だったのでしょう。瀉血(しゃけつ:体を切って血を出す)や下剤の使用など、体液バランスを整えるための様々な治療法も行われました。

なぜ体液説が生まれたのか、そしてその限界

四体液説がこれほど長く支持された背景には、当時の科学技術や知見の限界がありました。まず、古代や中世には、現代のような精密な分析機器はもちろん、詳しい人体解剖や生理機能の理解が不十分でした。体液説は、経験的な観察(例えば、出血、鼻水、胆汁のような嘔吐物など)と、古代ギリシャで唱えられた「万物は四大元素(火、空気、水、土)からなる」という哲学的な考え方とを結びつけて生まれた側面があります。それぞれの体液が四大元素と特定の性質(熱い/冷たい、湿っている/乾いている)に対応づけられ、世界観全体と調和する美しい理論体系に見えたのです。

しかし、この理論はあくまで推測と限られた観察に基づくものであり、病気や体の働きに関する多くの現象を正確に説明することはできませんでした。例えば、なぜ特定の環境や接触によって病気が広がるのか、なぜ同じ症状でも人によって経過が違うのか、といった疑問には十分に答えられなかったのです。しかし、ガレノスの権威があまりに絶大だったため、長らくその説に正面から異論を唱えることは難しい状況でした。

新しい知見による疑問符:解剖学、生理学、そして微生物の世界へ

体液説という「常識」に疑問が投げかけられ始めたのは、ルネサンス期以降、特に16世紀から17世紀にかけて、科学的な人体研究が進展してからです。

ベルギーの解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(16世紀)は、自身の徹底的な人体解剖に基づいて『ファブリカ』という画期的な解剖学書を著しました。彼は、ガレノスの解剖学には多くの誤りがあることを指摘し、正確な人体の構造を明らかにしました。これによって、体液がどのように生成され、体内を流れるかといったガレノスの生理学的な推測にも疑念が生じます。

そして、決定的な転換点の一つとなったのが、ウィリアム・ハーヴェイ(17世紀)による血液循環説の提唱です。ハーヴェイは、血液が体内を一方通行に循環していることを実験と定量的な推論によって証明しました。これは、体液が体内で増減して病気を引き起こすという体液説の基本的な考え方とは相容れないものでした。

さらに、17世紀後半には、アントニ・ファン・レーウェンフックが顕微鏡を発明し、目に見えない微小な生物(後の微生物)の存在を明らかにします。当初は病気との関連は不明でしたが、これは後に病気の原因に関する全く新しい視点をもたらす伏線となりました。

体液説の終焉と近代医学の確立

これらの新しい解剖学的・生理学的知見の蓄積は、徐々に体液説の基盤を揺るがしました。病気は単純な体液のバランスの崩れではなく、特定の臓器の異常や機能不全によって引き起こされるという考え方が力を得るようになります。18世紀から19世紀にかけて、病理解剖学が進展し、病気が特定の臓器や組織の損傷と結びついていることが明らかになっていきました。

そして、19世紀後半には、ルイ・パスツールやロベルト・コッホらによって細菌説が確立されます。特定の病気が、特定の種類の細菌などの微生物の感染によって引き起こされることが証明されたのです。これは、病気の原因に関する理解を根本から覆すものであり、体液説に基づく病気の考え方は、もはや科学的な根拠を失いました。

同時期に、化学や生理学の発展も進み、血液、リンパ液、消化液など、体液の多様な役割と組成が詳細に研究されるようになりました。体液は単なるバランスの問題ではなく、それぞれが複雑な生理機能を担っていることが明らかになったのです。性格についても、体液バランスではなく、脳の機能、遺伝、環境、経験など、様々な要因が複合的に影響するという理解が進みました。

現在の理解:複雑系としての生命

現代医学、生理学、心理学では、かつての四体液説のような単純なモデルは完全に否定されています。病気は、遺伝的な要因、生活習慣、環境、栄養、そして細菌やウイルスなどの微生物感染、免疫システムの異常、細胞レベルでの機能障害など、非常に多様で複雑な要因が絡み合って発生すると理解されています。

体液は体内に様々存在しますが、それぞれの組成や量は精密に調節されており、その異常は病気の結果であることもあれば、原因の一部となることもあります。しかし、それは古代の四体液説が想定していたような、特定の体液の増減が全ての原因であるという単純な話ではありません。

性格についても同様で、脳科学、遺伝学、心理学などの分野で研究が進んでいますが、単一の要因で決まるものではなく、遺伝的素質と育った環境、学習、経験などが複雑に相互作用して形成されると考えられています。

科学的「常識」が訂正されることの意義

数千年もの間、人類の病気や体調に関する理解を支配した四体液説。現在の知見から見れば、それは荒削りで誤った理論でした。しかし、当時の人々が限られた情報の中で、世界を、そして自身の体を理解しようと懸命に築き上げた体系であったこともまた事実です。

この体液説の歴史は、「常識」がいかに時代や知見によって変わりうるか、そして、観察や実験に基づいた科学的な探求がいかに重要かを示しています。どんなに広く信じられた理論であっても、新しい証拠やより正確なデータが現れれば、見直し、訂正していく。このプロセスこそが、科学が進歩していく上で不可欠なのです。私たちが現在「常識」としていることも、未来の知見によってさらに深まり、あるいは訂正されていく可能性がある。この謙虚な姿勢を持つことが、科学を理解する上で大切なことなのかもしれません。