「目は光を放って物を見る」という「常識」はいかに覆されたか:光が目に入って視覚が生まれる発見史
「見る」という身近な行為に隠された、かつての驚くべき「常識」
私たちの日常生活で、これほど当たり前のことはないでしょう。「見る」という行為です。朝起きて最初に世界を認識するのも、本を読んだり、パソコンの画面を見たりするのも、すべて「見る」ことによって成り立っています。では、私たちはどのようにして物を見ているのでしょうか?
現代の科学を知っている私たちにとっては、「物体に当たった光が反射して目に入り、それが脳で処理されて像として認識される」という仕組みは常識かもしれません。しかし、科学の歴史を遡ると、この極めて基本的な「見る」という現象についても、長い間全く異なる、そして現代から見れば驚くべき「常識」が信じられていた時代がありました。
それは、「目から何かが出て、対象に触れることで物を見る」という考え方です。まるで目から光線や探知機のようなものが発射されて、世界を捉えるイメージでしょうか。これが、かつて多くの偉大な学者や哲学者によって支持された、視覚に関する古い「常識」でした。
なぜ「目から光が出る」と考えられたのか? 古代ギリシャからの視覚理論
この「目から何かが出る」という考え方、科学史では主に「投射説(とうしゃせつ)」と呼ばれています。では、なぜ古代の人々はこのように考えたのでしょうか。
紀元前4世紀頃の古代ギリシャでは、哲学者のプラトンや数学者のエウクレイデスなどがこの投射説を支持しました。彼らは、視覚のプロセスが非常に速やかであり、遠くの物体や大きな物体も一瞬で全体を捉えられることから、目から出る何かが瞬時に対象に到達し、その形や大きさを感知するのだ、と考えたようです。まるで、探照灯が照らし出す範囲を一瞬で把握するようなイメージだったのかもしれません。
エウクレイデスは、この考え方に基づいて幾何学的な視覚の理論を展開しました。目から錐(きり)のような光線が出て、その錐の先端が対象に触れることで、視覚が成立するというのです。この幾何学的なアプローチは、当時の数学や哲学と結びつきやすく、広く受け入れられていきました。アリストテレスなど、光が目に入る「受動説」に近い考え方を示唆した哲学者もいましたが、主流となったのはプラトンやエウクレイデスに代表される投射説だったのです。
この投射説は、その後もローマ時代を経て、長い間ヨーロッパやイスラム世界で受け継がれていきます。それは単なる素朴な考えというよりは、当時の哲学や幾何学と結びついた、体系的な視覚理論として展開されていました。
疑問の芽生え:イスラム世界が生んだ光と視覚の真実
しかし、この強固な「常識」にも、やがて疑問が投げかけられます。その大きな転換点をもたらしたのが、10世紀から11世紀にかけてイスラム世界で活躍した学者、アルハゼン(イブン・アル・ハイサム)です。
アルハゼンは、視覚に関する当時の様々な理論を批判的に検討しました。彼は単なる哲学的な考察に留まらず、実験や観察を重視したのです。例えば、彼は暗い部屋に小さな穴を開け、そこから外の景色を取り込む実験を行いました。これは現在でいう「ピンホールカメラ」の原理です。この実験で彼は、外の光景が穴を通って壁に逆さまに映し出されることを観察しました。
この観察から、アルハゼンは重要な結論を導き出します。光は物体からあらゆる方向に放射されており、その光の一部が穴を通り抜けることで像を結ぶのだ、と。この発見は、視覚のメカニズムを考える上で決定的なヒントとなりました。
彼はさらに研究を進め、視覚は目から何かが出るのではなく、物体から出た(あるいは反射した)光が目に入り、それが目の内部で処理されることによって生じる、という新しい理論を提唱しました。これが「受動説(じゅどうせつ)」あるいは「外射説(がいしゃせつ)」と呼ばれる考え方です。アルハゼンは、この新しい視点から目の構造や光の性質についても詳細な考察を行い、その成果は著書『光学の書』にまとめられました。
旧常識から新常識へ:アルハゼンの理論が世界を変える
アルハゼンの『光学の書』は、その後ラテン語に翻訳され、中世ヨーロッパに大きな影響を与えました。彼の実験に基づいた体系的なアプローチは、それまでの哲学的な考察が中心だった視覚理論に、科学的な視点をもたらしたのです。
彼の受動説は、すぐにすべての学者に受け入れられたわけではありませんでしたが、次第にその説得力が増していきました。そして、17世紀に入ると、天文学者としても知られるヨハネス・ケプラーが、目の構造の詳しい研究と光学の知識を結びつけ、視覚のメカニズムをさらに解明します。
ケプラーは、目がレンズのような働きをすること、そして物体から入った光が目の奥にある網膜に像を結ぶことを、幾何学と物理学を用いて明確に示しました。網膜に映る像が逆さまになることも説明し、それが脳でどのように認識されるのか、という現代的な視覚の理解へとつながる道筋をつけたのです。
アルハゼンの受動説に始まり、ケプラーによって目の光学的な仕組みが解明されたことで、「目から光が出て物を見る」という長年の「常識」は完全に覆されました。光が目に入り、網膜に像が結ばれ、それが神経を通じて脳に伝えられるという、現在の視覚の仕組みに関する理解が確立されていったのです。
現在の理解:光を「受け止める」私たちの目
現在、私たちは視覚の仕組みについて、旧来の投射説とは全く異なる理解を持っています。光が物体に当たり、反射された光が角膜や水晶体といった目のレンズを通り、屈折して網膜の上に像を結びます。網膜には光を感じる細胞(視細胞)があり、そこで光の信号が電気信号に変換されます。この電気信号は視神経を通って脳へと送られ、脳がその情報を処理することで、私たちは物を見ていると認識するのです。
まるで、カメラのレンズが光を集めてフィルム(あるいはセンサー)に像を写し出すのと似ています。私たちの目は、能動的に何かを発するのではなく、光を「受け止める」器官なのです。
まとめ:常識を疑い、真実を探求することの意義
「目から光が出て物を見る」という、かつて広く信じられた視覚の「常識」。それは、現代の私たちの理解とは全く異なるものであり、いかに身近で当たり前だと思っていることの中にも、歴史的な誤解が存在しうるかを示しています。
この「常識」が覆され、光が目に入って視覚が生まれるという真実が明らかになった背景には、アルハゼンのような、単なる権威や既存の考え方を鵜呑みにせず、自らの観察や実験に基づいて真実を探求しようとする科学的な姿勢がありました。そして、その後の研究者たちが、光学や解剖学の発展とともに、さらに精密な視覚の仕組みを解き明かしていったのです。
科学における「常識」は、時代とともに変化し、より正確な理解へと更新されていきます。今回の視覚の例は、身近な現象であっても、その背後にある真実を探求することの面白さ、そして常識を疑うことの重要性を教えてくれていると言えるでしょう。私たちの知っている「当たり前」も、もしかしたら未来には別の形で理解されているのかもしれません。