科学誤謬訂正史

宇宙を満たす謎の物質「エーテル」という「常識」はいかに覆されたか:光の媒質探求とその終焉

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光は何の中を伝わるのだろう? かつて信じられた「宇宙を満たす物質」

私たちの周りには、音や光、熱など、様々な現象が満ちています。音は空気が震えることで伝わり、熱は物質の中や空間を伝わります。では、光はどうやって伝わるのでしょうか?

特に、太陽からの光は、真空であるはずの宇宙空間を1億5千万キロメートルも旅して地球に届きます。音が空気という「媒質(ばいしつ)」、つまり波を伝える媒体を必要とするように、光も何かを伝わる波だと考えたとき、宇宙空間を満たし、光を伝えるための特別な媒質が存在するという考えが、かつて科学者たちの間で広く信じられていました。

その架空の物質こそが、「ルミナス・エーテル」、通称「エーテル」と呼ばれるものでした。

光を波と捉えた時代の必然:エーテルの誕生

17世紀後半から18世紀にかけて、光の本質については大きな議論がありました。ニュートンが光を粒子の流れだと考えたのに対し、ホイヘンスなどは光を波だと考えました。その後、19世紀に入ると、ヤングによる光の干渉実験やフレネルによる回折理論など、光が波としての性質を持つことを示す証拠が次々と見つかり、光は波であるという考え方が優勢となっていきました。

光を波だと考えたとき、疑問が生じます。「何が波打っているのだろうか?」と。音波が空気を、水面の波が水を媒質とするように、光波も何らかの媒質を必要とするはずです。当時の物理学の常識から考えれば、これはごく自然な発想でした。

そこで導入されたのが「エーテル」という概念です。エーテルは、以下のような性質を持つと仮定されました。

これは非常に都合の良い、しかし現実にはありそうもない性質の組み合わせですが、当時の物理学では、光が波である以上、エーテルは存在せざるを得ないものと考えられていたのです。いわば、光の波を支えるための見えない土台のようなものでした。

エーテルを探して:観測技術の進歩と「漂流」の謎

エーテルの存在を証明するため、多くの科学者が様々な実験を試みました。もしエーテルが宇宙空間に満ちているなら、地球が公転する際には、このエーテルの流れ(エーテル風、あるいはエーテル漂流)を受けるはずだと考えられました。川をボートで上り下りする際に、流れがある場合とない場合で所要時間が変わるように、エーテルの流れに乗る向きと逆らう向きで、光の速度に違いが出るのではないか、と考えられたのです。

このエーテル漂流を検出する最も有名な実験が、1887年にアメリカの物理学者アルバート・マイケルソンエドワード・モーリーによって行われたマイケルソン・モーリーの実験です。彼らは、非常に精密な測定器である「マイケルソン干渉計」を使用しました。これは、光を二つに分け、それぞれを異なる方向に進ませて反射させ、再び一つに合わせたときにできる干渉縞(光の波が重なり合って強め合ったり弱め合ったりすることでできる縞模様)の変化を観測する装置です。

もし地球がエーテルの中を運動しているなら、光がエーテル風に乗って進む方向と、それに逆らって進む方向とで、光の速度がわずかに異なるはずです。その速度差によって、光がそれぞれの経路を往復するのにかかる時間に差が生じ、干渉縞の位置が変化するだろう、と彼らは予測しました。季節によって地球の公転方向が変われば、このエーテル風の方向も変わるはずなので、干渉縞のずれも変化するはずです。

しかし、何度実験を行っても、どれだけ観測精度を高めても、期待された干渉縞のずれは検出されませんでした。エーテル風の影響は、まるで存在しないかのようでした。

拭えない矛盾:エーテルをめぐる苦闘と新しい時代の幕開け

マイケルソン・モーリーの実験結果は、当時の科学界に大きな衝撃を与えました。エーテルの存在は、光が波であるという確信に基づいた、当時の物理学の重要な柱の一つだったからです。この「ゼロ結果」を説明するために、様々な苦肉の策が提案されました。

例えば、アイルランドの物理学者ジョージ・フィッツジェラルドやオランダの物理学者ヘンドリック・ローレンツは、高速で運動する物体は、その進行方向に沿って長さが縮むという「収縮仮説」を提唱しました。また、時間も遅れるという「ローレンツ変換」という数学的な変換式も導き出されました。これらの仮説や変換を使えば、マイケルソン・モーリーの実験結果を形式的には説明することができました。つまり、装置自体がエーテル風によって縮むため、速度差が打ち消されてしまう、というわけです。

しかし、これらの説明はどこか取ってつけたような印象が強く、物理的な根拠が不明確でした。エーテルは観測できないばかりか、その性質を説明するためにますます複雑で不自然な仮定が必要になってきたのです。まるで、見えないものを無理やりつなぎとめようとしているかのようでした。

このような状況の中、全く新しい視点からこの問題を解決したのが、若き物理学者アルベルト・アインシュタインでした。彼は1905年に発表した特殊相対性理論の中で、エーテルのような媒質はそもそも存在しないという大胆な仮説を立てました。

アインシュタインは、「光の速度は、誰がどのような速度で観測しても常に一定である(光速度不変の原理)」という原理を提唱しました。この原理を受け入れるならば、光の速度は媒質に依存せず、光源や観測者の運動にも影響されないことになります。これは、エーテルという概念を完全に不要とするものでした。

現在の理解:エーテルの否定と時空間の新しい常識

アインシュタインの特殊相対性理論は、マイケルソン・モーリーの実験結果を見事に説明しただけでなく、時間と空間に対する私たちの常識を根底から覆しました。時間と空間は絶対的なものではなく、観測者の運動状態によって伸び縮みする相対的なものである、という考え方です。

エーテルという概念は、かつて光が波であるという理解から必然的に導かれたものでしたが、それは当時の物理学の枠組み(特にニュートン力学における絶対空間・絶対時間)の中で考えられた結果でした。マイケルソン・モーリーの実験は、その枠組みでは説明できない現実を示し、科学者たちに新しい枠組みの必要性を突きつけました。そして、アインシュタインがその新しい枠組み、すなわち相対性理論を提示したことで、エーテルという「常識」は歴史の中に静かに消えていったのです。

現代物理学において、光は電磁波として、真空の空間そのものを伝わっていくものと理解されています。光を伝えるための特別な媒質は必要ありません。

まとめ:科学の進歩は「常識」の問い直しから

エーテルを探求し、最終的にその存在を否定した歴史は、科学がどのように進歩していくかを示す好例と言えるでしょう。かつては論理的帰結として当然視されていた「常識」であっても、観測や実験という現実のデータと矛盾が生じたとき、科学は立ち止まり、その「常識」そのものを問い直します。そして、その矛盾を解消するために、全く新しい考え方や理論が生まれることがあります。

マイケルソン・モーリーの実験の「ゼロ結果」は、一見失敗のように見えましたが、実はエーテルという「常識」が間違っていたことを示す決定的な証拠でした。そして、その結果を受け止め、従来の考え方にとらわれずに新しい理論を構築したアインシュタインによって、私たちの宇宙に対する理解は飛躍的に深まったのです。

科学の歴史は、このように、古い「常識」が新しい発見によって覆され、より精緻で広い視野を持つ新しい「常識」へと置き換えられていくプロセスの連続です。そして、そのプロセスは今もなお続いています。私たちが日頃触れる様々な情報についても、「これは本当にそうだろうか?」と一度立ち止まって考えてみることの重要さを、エーテル探求の歴史は教えてくれているのかもしれません。