科学誤謬訂正史

「地球は平らである」という「常識」はいかに覆されたか

Tags: 地球, 科学史, 天文学, 地理学, 古代ギリシャ

はじめに:私たちの「常識」と地球の形

空を見上げ、足元の大地を見つめると、地球はどこまでも平らに広がっているように感じられます。太陽が昇り、空を渡り、沈んでいく様子は、まるで平らな地面の上を動いているかのようです。このような日常の感覚から、多くの文明において、古くは地球は平らな円盤や四角い大地である、という考え方が「常識」として受け入れられていました。

しかし、この一見動かしがたい「常識」は、歴史の長い道のりの中で、少しずつ覆されていきました。本日は、「地球は平らである」という旧来の常識が、いかにして誤りであることが証明され、現在の「地球は球体である」という理解に至ったのか、その科学史における変遷を見ていきたいと思います。

かつての「常識」:地球は平らである

古代の多くの文化では、地球は文字通り平らだと考えられていました。例えば、メソポタミア文明では、地球は水に囲まれた円盤状であるとされ、その上を天蓋が覆っていると考えられていました。古代エジプトでは、ナイル川が流れる平らな大地が世界の中心であり、その周囲を山が囲んでいるといった考え方が見られました。

これらの考え方の背景には、やはり私たちの五感で捉えられる世界の姿がありました。広大な海や平野を旅しても、端っこに到達したと感じることはありませんでした。遠くの景色は霞んで見えなくなりますが、これは単に距離のためだと解釈されていました。日々の生活や移動のスケールでは、地球の丸みを実感することは難しかったのです。

「常識」への疑問:古代ギリシャの賢者たちの観察

このような「地球平面説」が広く信じられる中で、紀元前6世紀頃の古代ギリシャに、地球が平らではないかもしれない、という疑問を抱く人々が現れ始めました。彼らは単なる感覚に頼るのではなく、注意深い観察と論理的な推論を重視しました。

アリストテレスの証拠

特に有名なのは、哲学者アリストテレス(紀元前4世紀)です。彼はいくつかの観察から、地球が球体である可能性を示唆しました。

  1. 月食の影: 月食の際、月に映る地球の影は常に丸い弧を描いています。もし地球が円盤であれば、影の形は地球と月の位置関係によって楕円や直線になることもあるはずです。しかし、常に丸い影ができることから、アリストテレスは地球が球体であると考えました。
  2. 星の見え方: 南へ旅すると、それまで見えなかった新しい星が空に現れ、北の星は地平線の下に沈んでいくように見えます。これは、観測者が球体の表面を移動したことで、見えている天球の位置が変わるために起こる現象です。もし地球が平らであれば、このような現象は起こらないはずです。

これらの観察は、地球が平らであるという「常識」に、明確な疑問符を投げかけるものでした。

エラトステネスの測量

さらに驚くべきことに、紀元前3世紀、アレクサンドリアの学者エラトステネスは、地球が球体であることを前提に、その円周を計算するという偉業を成し遂げました。

彼は、エジプトのシエネ(現在のアスワン)では夏至の正午に太陽が真上に来る(井戸の底を照らす)一方、北にあるアレクサンドリアでは同時刻に太陽が天頂からわずかにずれていることに気づきました。これは、地球が球体であり、シエネとアレクサンドリアが異なる緯度に位置しているためだと考えたのです。

彼は、シエネとアレクサンドリア間の距離(隊商の旅日数から推定)と、アレクサンドリアでの太陽の天頂からのずれの角度(観測機器で測定)を使い、単純な幾何学計算によって地球の円周を求めました。彼の計算した値は、現在の測定値と比較しても驚くほど近いものでした。これは、単なる推論ではなく、具体的な測定に基づいた地球の形状とサイズの証明として非常に画期的な出来事でした。

球体説の広がりと再確認の時代

古代ギリシャ・ローマ世界では、アリストテレスやエラトステネスらの影響で、知識人の間では地球が球体であるという考え方が徐々に広まっていきました。しかし、その後の中世ヨーロッパでは、キリスト教神学の影響などもあり、再び地球平面説が有力視される時期もありました。ただし、これは現代の「フラット・アーサー」のような、すべての証拠を無視するタイプの否定ではなく、聖書的世界観との整合性を図る中で生じた側面が強いようです。知識階級の間では、球体説は完全に忘れ去られていたわけではありませんでした。

大航海時代による実証

球体説が広く一般にも受け入れられる決定的なきっかけとなったのは、15世紀末から始まる大航海時代です。コロンブスの航海は西回りでのインド到達を目指したものであり、地球が球体でなければ不可能な発想でした(彼は地球のサイズを小さく見積もりすぎていましたが)。そして、フェルディナンド・マゼランの一隊による1519年から1522年にかけての世界一周航海は、文字通り地球の丸さを実証しました。船は同じ方向に進み続ければ、やがて元の場所に戻ってくるのです。これは、地球が平らな大地であれば決して起こりえない現象でした。

ニュートンの理論的証明

17世紀には、アイザック・ニュートンが万有引力の法則と運動の法則を体系化しました。彼の理論に基づけば、巨大な質量を持つ天体は、自身の重力によって自然と球形になろうとすることが説明できます。さらに、地球が自転していることによる遠心力の影響で、赤道付近がわずかに膨らみ、極方向がわずかにへこんだ、完全な球ではなく「回転楕円体(扁平な球)」になっていることも予測されました。

この予測は、後にフランス科学アカデミーが行った子午線弧長の測量によって確認され、地球が厳密には球体ではなく、ニュートンが予言したような扁平な形をしていることが証明されました。

現在の理解:当たり前の知識として

現代において、地球が球体(より正確には回転楕円体)であることは、もはや議論の余地のない「常識」となっています。学校教育で教えられ、日々の天気予報やGPSの仕組み、航空機や船舶の航行など、様々な場面でその前提が活用されています。

そして何よりも、人工衛星や宇宙ステーションからの観測、あるいは月や他の惑星から撮影された写真によって、私たちは地球が青く丸い惑星であることを直接、この目で確認することができる時代に生きています。

まとめ:科学的探求の力

「地球は平らである」という、かつて多くの人々が当たり前だと感じていた「常識」は、ごく自然な日常感覚に基づいていました。しかし、古代ギリシャの賢者たちの注意深い観察と論理的な推論、エラトステネスによる大胆な測定、そして大航海時代による実証、ニュートンの理論的体系化といった、科学的な探求の積み重ねによって、その誤りが明らかになり、私たちの地球に対する理解は大きく変革されました。

この歴史は、科学的な知識が、単純な感覚や表面的な見かけに惑わされず、観察、実験、論理、そして実証を経て形成されていくプロセスを示しています。そして、一度確立された知識も、より精密な観測や新しい理論によって、さらに正確なものへと更新されていく可能性を常に含んでいます。科学の歴史は、私たちの知的好奇心と探求心が、いかに世界の真実を明らかにしてきたかを教えてくれるのです。