科学誤謬訂正史

「地球は宇宙の中心」という「常識」はいかに覆されたか:天動説から地動説へ

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長く信じられた「地球中心」の宇宙観

私たちが立っているこの大地、地球。この地球が宇宙の真ん中にあり、太陽や月、星々がその周りを回っている。これは、かつて数千年もの間、人々の間で揺るぎない「常識」として信じられてきました。夜空を見上げれば、太陽は東から昇り西へ沈み、星々も毎日同じように円を描いて動いているように見えます。この日常的な経験は、「やはり地球は動かず、すべてが地球の周りを回っているのだ」という考えを後押ししました。

この考え方は「天動説」と呼ばれ、特に古代ギリシャの哲学者アリストテレスや天文学者プトレマイオスによって体系化されました。プトレマイオスは2世紀に『アルマゲスト』という大著を著し、複雑な数学的モデルを使って惑星の動きを説明しました。このモデルは、当時の観測精度では十分に現象を予測できたため、その後1400年以上にわたり、キリスト教の世界観とも結びついて、宇宙の標準モデルとして受け入れられ続けました。地球が宇宙の中心にあるということは、人間や地球が特別な存在であるという思想とも調和しやすかったのです。

天動説の限界と「めんどくさい」計算

天動説は長い間、天体の動きを説明するのに役立ちました。しかし、注意深く夜空を観察していると、困った現象に気づきます。特に惑星(「さまよう星」という意味のギリシャ語に由来します)は、他の星とは違い、時には空を行ったり来たり、逆向きに動いているように見えることがあるのです。これは「惑星の逆行」と呼ばれました。

天動説では、この惑星の逆行を説明するために、非常に複雑な仕組みを導入する必要がありました。それは、「周転円(しゅうてんえん)」という考え方です。大きな円(これは地球の周りを回る軌道)の上を、小さな円を描きながら惑星が動く、という二重の円運動を仮定したのです。さらに正確に動きを説明しようとすると、この周転円の上にさらに小さな円を重ねたり、地球が中心から少しずれていると考えたりと、どんどんモデルが複雑になっていきました。例えるなら、目的地にたどり着くために、まっすぐ行けばいいのに、わざわざ細い道をぐるぐる回ってから向かう、といった不自然さです。

コペルニクスの大胆な仮説:地球が動く?

16世紀になり、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスは、この複雑化した天動説の計算に疑問を感じていました。彼は、もしかしたら宇宙の中心は地球ではなく、太陽なのではないか、そして地球を含む他の惑星が太陽の周りを回っているのではないか、と考えたのです。これが「地動説」です。

コペルニクスは、太陽を中心とするモデル(太陽中心説とも呼ばれます)を採用すると、惑星の逆行が驚くほど簡単に説明できることに気づきました。それは、地球が太陽の周りを公転する際に、外側の軌道を回る惑星を追い越したり、追い越されたりすることによって生じる、見かけ上の動きだと理解できたからです。まるで、自動車で高速道路を走っている時に、隣の車線をもっと速く走っている車が、少しずつ後ろに戻っていくように見える現象に似ています。

コペルニクスは、この地動説をまとめた主著『天球の回転について』を1543年に出版しました。しかし、これは当時の常識や宗教的権威に真っ向から対立する考え方だったため、すぐには受け入れられませんでした。むしろ、突飛な仮説と見なされることが多かったのです。まだこの時点では、地動説は天動説よりも計算が少し簡単になるという数学的な利便性以上の決定的な証拠に乏しかったのです。

決定的な証拠の登場:ケプラーとガリレオ

地動説が単なる数学的な仮説から、宇宙の真実へとその地位を高めるには、さらに数十年を待つ必要がありました。

まず、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが登場します。彼は、師であるティコ・ブラーエが生涯をかけて集めた非常に精密な観測データを用いて、惑星の軌道を詳細に分析しました。ケプラーは、惑星の軌道がコペルニクスが考えたような完璧な円形ではなく、太陽を一つの焦点とする「楕円形」であることを発見しました(ケプラーの第一法則)。また、惑星が軌道を回る速度が一定ではなく、太陽に近いほど速くなることも発見しました(ケプラーの第二法則)。これらの発見は、コペルニクスの地動説を修正するものでしたが、同時に太陽中心のモデルが天体の正確な動きを驚くほどよく説明できることを示しました。

そして、イタリアの学者ガリレオ・ガリレイが登場します。彼は、オランダで発明された望遠鏡の話を聞きつけ、それを改良して自作し、夜空を観測しました。ガリレオの望遠鏡を使った観測は、天動説を揺るがす決定的な証拠を次々と提供しました。

ガリレオはこれらの観測結果を『星界の報告』として発表し、地動説の正しさを強く主張しました。しかし、彼の考えは当時のカトリック教会の教義と対立したため、裁判にかけられ、地動説を放棄させられるという悲劇的な出来事も起こりました。科学の新しい発見が、すぐに社会に受け入れられるわけではない、という科学史の教訓の一つです。

現代の宇宙観へ

ケプラーの法則とガリレオの観測は、地動説を強力に後押ししました。その後、アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見し、なぜ惑星が太陽の周りを楕円軌道で回るのかを物理学的に説明できるようになると、地動説は不動の地位を確立しました。

現在、私たちは地球が太陽系の一つの惑星であり、太陽の周りを約1年かけて公転していることを知っています。太陽系全体も、銀河系と呼ばれる巨大な星の集団の中を移動しています。そして、宇宙には銀河が数えきれないほど存在していることも分かっています。かつて「宇宙の中心」と考えられていた地球は、広大な宇宙の中の、ごくありふれた場所にある小さな星であることが明らかになりました。

常識を疑う勇気と、観測の力

天動説から地動説への転換は、「科学革命」と呼ばれる大きな変革の始まりでした。この歴史から私たちが学べることはいくつかあります。

一つは、私たちの目に見えるものや日常的な感覚が、必ずしも宇宙の真実を表しているわけではないということです。太陽が昇り沈むように見えるからといって、必ずしも太陽が地球の周りを回っているとは限りません。

もう一つは、複雑になった古い説明に固執せず、よりシンプルで美しい新しい説明を追求することの重要性です。そして何よりも、精密な観測や実験によって得られる「証拠」こそが、科学的な知識を訂正し、発展させていく上での最も強力な力となるということです。

「地球は宇宙の中心」という長年の常識は、多くの人々の観測、計算、そして既成概念を疑う勇気によって覆されました。この地動説の確立は、その後の科学の進歩の礎となり、私たちの宇宙に対する理解を根本から変えた、歴史的な出来事だったのです。