「地球の年齢は数千年」という「常識」はいかに覆されたか:創造説から科学的年代測定へ
古代から近世の「常識」:地球はいつ生まれたのか?
現代の私たちは、「地球の年齢は約46億年」と聞いても、それほど驚きません。教科書に載っている常識だからです。しかし、歴史を振り返ると、この「常識」はほんの200年ほどの間に大きく塗り替えられた、比較的新しい知識であることが分かります。かつて、多くの文明や文化において、地球の誕生に関する考えは神話や宗教的な記述に基づいていました。特にキリスト教圏では、旧約聖書の創世記に記述された天地創造や人類の系図を手がかりに、地球の年齢を計算しようとする試みがなされました。
中でも有名なのは、17世紀のアイルランドのジェームズ・アッシャー大主教が行った計算です。彼は聖書の記述を丹念に調べ上げ、天地創造は紀元前4004年10月23日になされたと結論づけました。この計算結果は、聖書に基づいて世界を理解しようとしていた当時のヨーロッパ社会で広く受け入れられ、「地球の年齢は数千年である」という考えは、揺るぎない「常識」として定着しました。当時の人々にとって、これは単なる推測ではなく、神聖な記述に基づいた最も信頼できる真実だったのです。
なぜ「数千年」と考えられたのか?
この「数千年」という地球の年齢が広く信じられた背景には、いくつかの要因があります。最も大きな理由は、前述したように、聖書が絶対的な真理として受け入れられていたことです。文字通りの解釈に基づけば、聖書に記された創世記の出来事やその後の出来事を積み重ねていくと、地球の歴史は数千年程度に収まってしまうように見えました。
また、当時の科学はまだ幼い段階にありました。地質学は黎明期にあり、大地がどのようにして現在の姿になったのか、その変化にどれほどの時間がかかるのかについての正確な知識はありませんでした。物理学も発展途上であり、物質の性質やエネルギーの振る舞いに関する理解は限定的でした。観測技術も限られており、広大で壮大な地球の歴史を直接知る手立てはほとんどなかったのです。
このような状況下では、最も権威ある知識体系であった宗教的な記述に頼らざるを得ず、結果として「地球の年齢は数千年」という「常識」が強固なものとなりました。
揺らぎ始めた「常識」:地質学からの挑戦
しかし、18世紀から19世紀にかけて、この「常識」に少しずつ疑問が投げかけられるようになります。そのきっかけとなったのは、地質学の発展でした。岩石の層(地層)が積み重なってできていること、化石が特定の地層から発見されることなどが分かってくるにつれて、大地の成り立ちが聖書の記述する数千年では説明できないほど、はるかに長い時間をかけて形成されたのではないかという考えが芽生え始めました。
特にスコットランドの地質学者ジェームズ・ハットンは、現在の地球で起きている地質的な現象(例えば、川の侵食や堆積物の形成)が、過去においても同じようにゆっくりと進んできたと考える「斉一説(せいいつせつ)」を提唱しました。目の前で岩石がわずかに削られたり、ほんの少しだけ砂が堆積したりする現象から推測すると、山が削られ平野になり、それが再び隆起して山になる、といった壮大なサイクルのためには、数千年どころではない、途方もなく長い時間が必要であるとハットンは考えたのです。
彼の考えは当初は受け入れられませんでしたが、イギリスのチャールズ・ライエルが『地質学原理』を著し、斉一説を体系的に展開したことで、地質学者の間で徐々に支持を広げていきました。地質学者たちは、目の前の岩石や地形が物語る歴史が、数千年という時間スケールでは到底収まらないことを肌で感じ始めていたのです。
また、19世紀半ばにチャールズ・ダーウィンが進化論を発表したことも、地球の年齢に関する考えに大きな影響を与えました。ダーウィンの進化論は、生物が長い年月をかけてゆっくりと変化していくことで多様な種が生まれるという考え方であり、これもまた地質学が示唆する長い時間スケールを必要としました。このように、地質学と生物学という異なる分野からの知見が、「地球の年齢は数千年」という旧来の「常識」に疑問符を突きつけることになったのです。
決定的な証拠:放射能の発見と年代測定
地質学や進化論が地球の長い歴史を示唆したものの、具体的な「年齢」を知る決定的な手段はまだありませんでした。そんな中、20世紀初頭に物理学の分野で画期的な発見がなされます。1896年にアンリ・ベクレルがウランの放射能を発見し、その後ピエール・キュリー、マリ・キュリー夫妻らがさらに研究を進め、ラジウムなどの新しい放射性元素を発見しました。
放射能とは、特定の原子核が不安定な状態にあり、自ら崩壊して別の原子核に変化する現象です。この崩壊は非常に規則正しく、崩壊が進む速さは温度や圧力などの外部環境に影響されません。そして、原子核がある確率で崩壊していく速さを表すのが「半減期(はんげんき)」です。例えば、ある放射性同位体(同じ元素でも中性子の数が違う原子)の半減期が1億年であれば、その同位体の量は1億年経つと半分になり、さらに1億年経つと元の量の4分の1になる、といった具合です。
この放射性同位体の「時計」としての性質に気づいたのが、アーネスト・ラザフォードやバートラム・ボルトウッドといった科学者たちです。彼らは、岩石中に含まれる放射性同位体と、その崩壊によって生成された娘同位体の量の比率を調べることで、その岩石がいつ結晶化して、放射性同位体の崩壊が始まったのか(つまり、岩石ができてからどれくらいの時間が経ったのか)を計算できることに気づきました。これが「放射年代測定(ほうしゃねんだいそくてい)」と呼ばれる画期的な手法です。
放射年代測定法を用いることで、科学者たちは地球上の様々な岩石の絶対的な年齢を調べることができるようになりました。世界各地の古い岩石や、地球が誕生した頃の情報を保持している隕石を測定した結果、最も古い年代は約45億年から46億年という値を示すことが分かったのです。
現在の理解:46億年の壮大な歴史
放射年代測定によって得られた数十億年という値は、それまでの数千年という「常識」を完全に覆すものでした。地質学や進化論が示唆していた「長い時間」の具体的なスケールが、物理学の全く異なるアプローチから明らかになったのです。その後、様々な手法や試料を用いた研究が進み、現在では地球の年齢は約45億4000万年プラスマイナス5000万年程度、つまり約46億年であるという理解が科学的な定説として確立されています。
この年齢は、単に測定値として得られただけでなく、太陽系がどのように形成されたかという天文学や惑星科学の理論とも整合性が取れています。太陽や他の惑星もほぼ同じ時期に誕生したと考えられており、地球の年齢は太陽系全体の形成史の中に位置づけられる知識となりました。
科学的知識の訂正から学ぶこと
「地球の年齢は数千年」という「常識」が、わずか数百年の間に数十億年という壮大な時間スケールへと訂正された歴史は、科学がいかに進歩し、そして時に旧来の考えを覆してきたかを示す好例です。聖書に基づく「常識」は、当時の知識レベルや社会状況においては説得力を持つものでしたが、地質学が地層の証拠を示し、物理学が新たな時計(放射性崩壊)を提供したことで、より正確な理解へと至りました。
このエピソードは、科学的な知識は固定されたものではなく、新しい発見や技術によって常に更新され、より真実に近づいていく過程にあることを教えてくれます。また、一つの分野だけでなく、地質学、生物学、物理学といった異なる分野からの知見が結びつくことで、大きな科学的真実が明らかになることがある点も示唆的です。
私たちの知的好奇心を満たす「科学誤謬訂正史」の旅は、これからも続いていきます。次回の記事では、また別の「常識」がいかに訂正されてきたのかをご紹介できればと思います。