科学誤謬訂正史

「燃焼すると軽くなる」という「常識」はいかに覆されたか:質量保存の法則と近代化学の誕生

Tags: 化学史, 質量保存の法則, 燃焼, ラヴォアジエ, フロギストン説

物が燃えると軽くなる? 古代から信じられていた燃焼の「常識」

私たちの日常生活で、物が燃えるという現象はごく身近なものです。木を燃やせば灰になり、煙が出て軽くなるように見えます。このような素朴な観察から、古くから人々は「物が燃えると、その物質から何かが失われて軽くなる」と考えていました。

この考え方は、古代ギリシャ哲学における四大元素説(万物は火、空気、水、土でできているという考え方)や、中世の錬金術の時代を経て、17世紀には「フロギストン説」という形で体系化されます。フロギストン説では、燃える物質には「フロギストン」という元素のようなものが含まれており、燃焼とはこのフロギストンが物質から空気中に放出される現象だと考えられていました。フロギストンが抜けるから、燃えた後の物質(灰など)は軽くなる、というわけです。この説は当時の科学者たちに広く受け入れられ、燃焼や金属の錆びる現象などを説明するのに使われました。

なぜ「軽くなる」という常識が生まれたのか

フロギストン説が広く受け入れられた背景には、いくつかの理由があります。

まず、多くの有機物(木材、紙、ロウなど)を燃やすと、目に見える形で煙や炎が発生し、後に残る灰は元の物質よりもはるかに軽いという日常的な経験があります。これはフロギストンが抜けていった、と考えるのに都合が良かったのです。

また、当時の科学には、気体を目に見えない物質として正確に捉え、その質量を測定する技術がありませんでした。燃焼によって発生する煙や気体は見えなくなるか、空気と混ざり合ってしまうため、失われた「フロギストン」や発生した気体の質量を考慮せずに、残った固体の質量だけを比較してしまうと、「軽くなった」という結論になりやすかったのです。

さらに、酸素が発見される前は、燃焼において空気がどのような役割を果たしているのかが不明でした。「燃焼に必要なのは空気」という認識はあっても、その具体的な働きは理解されていませんでした。

質量に注目した疑問と新しい発見

「物が燃えると軽くなる」というフロギストン説に対し、疑問が投げかけられるようになったのは、定量的な測定、つまり「重さを正確に測る」という手法が科学研究に取り入れられるようになってからです。

特に、金属を加熱してできる「カルクス」(現在の金属酸化物)の研究が進むにつれて、矛盾が明らかになってきました。金属を加熱すると、多くの場合、重さが増えることが観察されたのです。フロギストン説では、金属はフロギストンを失ってカルクスになるのだから、カルクスは元の金属より軽くなるはずです。しかし実際には重くなる。これを説明するために、フロギストンには「負の重さがある」といった苦しい説明も生まれました。

この矛盾に真正面から向き合い、燃焼の本質を明らかにしたのが、18世紀フランスの科学者アントワーヌ・ラヴォアジエです。彼は、非常に精密な天秤(はかり)を用いて、化学反応の前後の物質の質量を正確に測定することの重要性を説き、それを実践しました。

ラヴォアジエは、密閉された容器の中で様々な物質を燃焼させる実験を行いました。もしフロギストンが抜けていくなら、密閉容器内の物質全体の質量は減るはずです。しかし、彼の精密な実験結果は、反応の前後で容器全体の質量が変わらないことを示しました。

特に重要な実験は、金属を密閉容器内で空気とともに加熱する実験でした。金属はカルクスに変化して重くなりましたが、容器内の空気の一部が消費され、空気全体の質量は減少していました。そして、金属が増加した質量と空気が減少した質量を合わせると、反応全体の質量は変化していなかったのです。

「常識」を覆した質量保存の法則

これらの定量的な実験に基づき、ラヴォアジエは「燃焼とは、燃える物質が空気中の特定の成分(後に酸素と名付けられる)と結合する化学反応である」という結論に至りました。金属が燃えて重くなるのは、金属が酸素と結合するからであり、有機物が燃えて軽くなるように見えるのは、発生した気体(二酸化炭素や水蒸気など)が空気中に散逸してしまうからに過ぎないことを明らかにしました。もし発生した気体をすべて集めて質量を測れば、元の物質と反応した酸素の質量の合計と等しくなるはずです。

この発見は、燃焼という現象を「何か失われる」神秘的な過程から、「物質が別の物質に変化する」定量的な化学反応へと変えました。そして、一連の実験を通じてラヴォアジエが提唱したのが、「質量保存の法則」です。これは、「化学反応の前後で、系全体の質量の総和は変化しない」という非常に基本的な、しかし科学史上極めて重要な法則です。

質量保存の法則の確立により、フロギストン説は完全に否定されました。燃焼だけでなく、あらゆる化学変化は、物質が消滅したり無から出現したりするのではなく、原子の組み合わせが変化するに過ぎないという理解が進みました。

現在の理解と科学的方法の力

現在の科学では、燃焼は物質と酸素が結合する酸化反応の一種として明確に定義されています。そして、質量保存の法則は、化学反応を理解する上での最も基本的な原理の一つであり、高校で化学を学ぶ際に最初に出てくる重要な概念です。アインシュタインの相対性理論によれば、質量とエネルギーは等価であり、核反応のような巨大なエネルギー変化を伴う場合は質量がわずかに変化しますが、通常の化学反応における質量の変化は無視できるほど小さいため、質量保存の法則は日常的な化学現象においては極めて正確に成り立ちます。

「物が燃えると軽くなる」という素朴な「常識」が覆された歴史は、科学がいかに進歩してきたかを示す好例です。目に見える現象だけでなく、精密な測定によって定量的に捉えること。そして、それまで信じられていた説に矛盾する結果が出たときに、古い説に固執するのではなく、新しい証拠に基づいて考え方を根本から見直すこと。ラヴォアジエが行ったような、仮説に基づいた実験と厳密な定量測定という科学的方法こそが、長らく信じられてきた「常識」を覆し、近代化学という新しい学問を誕生させる原動力となったのです。

このエピソードは、私たちの周りの当たり前だと思っていることにも、実はまだ隠された真実があるかもしれない、そしてそれを明らかにするのは、常識を疑う好奇心と、地道で正確な探求であるということを教えてくれます。