科学誤謬訂正史

「色は物体の性質である」という「常識」はいかに覆されたか:ニュートンが光の分解で示した色の正体

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日常の「色」の当たり前を疑う

私たちの身の回りには、色があふれています。赤いリンゴ、青い空、緑の葉っぱ。私たちは「リンゴは赤いもの」「葉っぱは緑色のもの」と、ごく自然に色の名前を呼んでいます。これは、色が物体そのものに備わった性質である、と無意識のうちに考えているからかもしれません。

かつて、科学の世界でも、この考え方が「常識」でした。さらに、最も純粋で基本的な色は「白」であり、他の様々な色は、この純粋な白が何らかの形で「汚されたり」「変化したり」して生まれるものだと信じられていた時代があります。

しかし、今から約350年前、一人の科学者が行った驚くべき実験が、この古くから続く色の「常識」を根本から覆しました。今回は、色が物体固有の性質ではなく、光そのものの性質であることを明らかにした発見の歴史をたどります。

色の理解の変遷:アリストテレスから中世まで

古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは、色は光と闇の中間的な混合によって生まれると考えました。彼の考えでは、白は光、黒は闇に対応し、これらの混合の比率によって、赤、青、緑といった様々な色が現れるとされました。この「白と黒の混合説」は、その後長い間、ヨーロッパの色彩理論の基礎となります。

中世を経て、科学者たちはプリズムという道具を使うと、太陽の光(白色光)が様々な色に分かれることを知っていました。しかし、当時の多くの学者は、これはプリズムのガラスが白色光を「変質」させたり、「汚したり」することによって色が生じるのだ、と考えていました。彼らにとって、白色光はあくまで単一で最も純粋なものだったのです。まるで、透明な水にインクを混ぜると色が付くように、プリズムが光に「色を付けている」というイメージに近かったと言えるかもしれません。

この時代、色の正体は、物体の表面の質感や、物体が光を反射・吸収する仕方によって決まるという考えも強く、やはり色は物体に紐づくもの、という認識が一般的でした。

ニュートンの挑戦:プリズムが示した光の正体

この旧来の色の「常識」に鋭い疑問を投げかけ、実験によって答えを導き出したのが、万有引力の法則でも知られるイギリスの偉大な科学者、アイザック・ニュートンです。1665年から1666年にかけて、ペストの大流行を避けて故郷に疎開していたニュートンは、その時間を利用して光や色の研究に没頭します。

ニュートンは、暗い部屋の窓に小さな穴を開け、そこから差し込む太陽光をプリズムに通す実験を行いました。壁に映し出された光は、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と連なる虹色の帯となりました。ここまでは、当時の他の科学者も観察していた現象です。

ニュートンが画期的だったのは、ここからさらに実験を進めたことです。彼は、この虹色の帯の中から特定の色の光だけを取り出し(例えば、赤い光だけを通すように板に穴を開けて)、それをもう一つのプリズムに再び通してみました。もし、プリズムが光を変質させて色を生み出しているのなら、二度目のプリズムで赤色はさらに別の色に変わったり、別の色が現れたりするはずです。

しかし、二度目のプリズムを通った赤い光は、そのまま赤い光として壁に映し出されました。他の色(例えば青い光)でも同じ結果でした。この実験から、ニュートンは、プリズムは光を「作り出している」のではなく、白色光の中に最初から含まれている様々な色の光を、それぞれの色に「分解」しているのだ、という結論に達したのです。

彼はさらに、それぞれの色の光(スペクトル)を別のレンズやプリズムを使って再び一つに集めると、再び白色光になることを実験で示しました。これは、白色光が様々な色の光の「混合物」であることの確固たる証拠となりました。つまり、色の正体は物体にあるのではなく、光そのものにあることを、ニュートンは実験によって証明したのです。

新しい理解の広がりと論争

ニュートンの色の発見は、1672年にロンドンの王立協会に報告され、大きな注目を浴びました。しかし、同時に激しい論争も巻き起こりました。当時の著名な科学者であるロバート・フックは、ニュートンの色の理論や、光が粒子の流れであるとする彼の考え方(光の粒子説)に強く反対しました。フックをはじめとする多くの人々は、白色光が最も純粋であるという古くからの考えに固執し、ニュートンの「白色光は混合物である」という主張を受け入れるのに時間がかかりました。

また、同時代のオランダの科学者クリスティアーン・ホイヘンスは、光が波であるとする「光の波動説」を提唱しており、フックは波動説の立場でニュートンの粒子説に基づく色彩論に異議を唱えました。色の現象は、光の波がどのように重なり合ったり、妨げ合ったりするか(干渉や回折といった現象)で説明できる、とフックらは主張したのです。

このような論争はありましたが、ニュートンのプリズムを使った精密な実験は説得力があり、彼の著書『光学』(1704年刊行)を通じて、白色光が様々な色の光の集まりであるという考え方、そして色が光の性質であるという理解は、徐々に科学界に広まっていきました。

現在の色の科学

現代の科学では、ニュートンが明らかにした光の分解・合成の原理は完全に正しいとされています。そして、私たちは光を「波」としても「粒子」としても振る舞うもの(光の二重性)として理解しており、色はこの光の波としての性質、具体的には「波長(はちょう)」の違いによって決まることが分かっています。(光の波長とは、水面の波の「波の長さ」のようなものです。人間の目に見える光には様々な波長があり、その波長の違いを私たちは色として認識しています)。

太陽光や白色電球からの光は、様々な波長の光が混ざり合ったものです。物体が特定の色に見えるのは、その物体が特定の波長の光を吸収し、それ以外の波長の光を反射、透過、あるいは散乱させているからです。例えば、葉っぱが緑色に見えるのは、葉っぱの表面が緑色の波長の光をよく反射し、赤色や青色などの波長の光を吸収するためです。その反射された緑色の光が私たちの目に届き、脳がそれを「緑色」と認識しているのです。

このように、色は物体の性質そのものではなく、「物体が光とどのように相互作用するか」によって決まる、光と私たちの視覚システムの複雑な関係の中で生まれる現象であることが明らかになっています。

まとめ:常識を覆す科学の力

かつて、「物体に宿る性質であり、純粋な白が汚れて生まれるもの」と考えられていた色という現象は、ニュートンのプリズム実験によって「光そのものの性質」として理解されるようになりました。

これは、科学の歴史において、当たり前だと思われていた「常識」が、注意深い観察と、それを検証するための精密な実験によって覆され、より深い、そして真実に近い理解へと更新されていく過程を示す素晴らしい例です。

身の回りにある何気ない現象に対しても、なぜそうなるのだろう、と疑問を持ち、探求を続ける姿勢こそが、科学を進歩させ、私たちの世界の見方を変えてきた原動力と言えるでしょう。色の正体を探る旅は、私たちにそんな科学の探求する力を教えてくれます。