科学誤謬訂正史

「生き物は動物か植物だけ」という「常識」はいかに覆されたか:生物分類の歴史と新しい知見

Tags: 生物分類, 科学史, リンネ, 五界説, 三ドメイン説

生物は「動物か植物か」、それだけだった時代

「生き物は動物か、それとも植物か」――。そう聞かれたら、多くの方が頷かれるかもしれません。私たちにとって身近な犬や猫は動物、道端の草木や畑の野菜は植物、というように、この二つのグループに分けて考えるのは、ごく自然な感覚です。そして、歴史上長い間、これは科学の世界でも広く受け入れられていた「常識」でした。

この二分法を確立し、生物分類学に大きな功績を残したのが、18世紀のスウェーデンの博物学者、カール・フォン・リンネです。彼は生物を体系的に分類するための手法を確立し、動物界と植物界という二つの大きなグループ(界)に分ける「二界説」を提唱しました。彼の著書『自然の体系』は、その後の生物学に絶大な影響を与え、世界中の生物学者たちがリンネの分類体系を基に、次々と新しい生物を発見し、リストに加えていきました。

当時の科学技術、特に観察手段は限られていました。肉眼で見える範囲の生物が主な研究対象であり、動物は「動いて食物を食べるもの」、植物は「動かず光合成で栄養を作るもの」といった、比較的単純で分かりやすい基準で二分することができたのです。この二界説は、当時の知識レベルにおいては非常に合理的で、多くの生物を整然と整理できる強力な枠組みでした。

見えなかった世界からの挑戦:顕微鏡が発見した多様性

しかし、この揺るぎないと思われた「常識」に、やがて疑問が投げかけられるようになります。その大きなきっかけとなったのが、顕微鏡技術の発達です。

17世紀にレーウェンフックが微生物を発見して以来、顕微鏡の性能は徐々に向上し、それまで見えなかった微小な生き物たちが次々と発見され始めました。池の水にいるアメーバやゾウリムシのような生き物は、確かに動き回りますが、動物のような複雑な器官はありません。また、光合成を行うミドリムシのような生物は、植物の特徴を持ちながら活発に動き回ります。さらに、カビやキノコのような菌類は、植物のように見えますが、光合成は行わず、他の生物を分解して栄養を得ます。

これらの「どちらにも分類できない」不思議な生き物たちの発見は、「生き物は動物か植物だけ」という二界説の枠組みを大きく揺るがしました。従来の基準では、彼らをうまく位置づけることができなかったのです。科学者たちは、これらの新しい生き物をどこに分類すべきかで頭を悩ませました。一時は、原生動物界や原生植物界といった新しいグループが提案されるなど、混乱が見られました。

新しい「常識」の誕生:五界説の登場

顕微鏡によって見つかった多様な生物たちを整理するための新しい枠組みが求められる中、20世紀後半に入り、生物分類の大きな転換期が訪れます。アメリカの生態学者、ロバート・ホイッタカーは、1969年に「五界説」を提唱しました。

ホイッタカーは、生物を分類する上で、「細胞の構造」(細胞内に核があるかないかなど)、「体のつくり」(単細胞か多細胞か)、「栄養の取り方」(光合成、捕食、分解など)といった、より根本的な特徴を重視しました。そして、生物全体を以下の五つの大きなグループに分けました。

  1. モネラ界: 核を持たない単細胞生物(細菌やシアノバクテリアなど)
  2. 原生生物界: 核を持つ単細胞生物や比較的単純な多細胞生物(アメーバ、ゾウリムシ、藻類など)
  3. 菌界: 菌類(カビ、キノコ、酵母など)
  4. 植物界: 植物(コケ植物、シダ植物、種子植物など)
  5. 動物界: 動物(海綿動物から私たちヒトまで)

この五界説は、顕微鏡でしか見えない微生物や、菌類のように特徴が異なる生物を適切に位置づけることができ、それまでの二界説に比べて生物の多様性をより正確に反映していました。この分類は広く受け入れられ、多くの教科書で採用されるようになり、「生き物は五つの大きなグループに分けられる」という新しい「常識」となりました。

科学はさらに先へ:分子が語る生物の多様性

五界説は生物分類を大きく進歩させましたが、科学の探求はそこで止まりません。20世紀後半から21世紀にかけて、DNAやRNAといった遺伝物質の解析技術が飛躍的に発展しました。これにより、生物の外見や体のつくりだけでなく、分子レベルでの比較が可能になりました。

アメリカの微生物学者、カール・ウーズは、特に生物のリボソームRNA(16S rRNAという分子)の遺伝子配列を詳細に解析しました。その結果、核を持たない生物(モネラ界)の中に、遺伝子レベルで大きく異なる二つのグループが存在することを発見したのです。一つは一般的な細菌(真正細菌)、もう一つは温泉や深海の熱水噴出孔のような極限環境に生息する「古細菌」でした。

この発見に基づき、ウーズは1977年に、生物全体を五界よりもさらに上位の「ドメイン」という分類で分ける説を提唱しました。これが「三ドメイン説」です。

  1. 真正細菌ドメイン: いわゆる細菌
  2. 古細菌ドメイン: 古細菌
  3. 真核生物ドメイン: 核を持つ生物すべて(原生生物界、菌界、植物界、動物界を含む)

現在では、この三ドメイン説が生物分類の基本的な考え方として広く受け入れられています。さらに研究が進み、特に真核生物ドメインの中は、かつての原生生物界を中心に非常に多様で複雑なグループに分かれることが分かってきており、その分類は今なお活発に議論・更新されています。

誤謬の訂正が示す、科学の発展プロセス

かつて疑う余地のない常識だった「生き物は動物か植物だけ」という二界説は、顕微鏡という新しい技術によって見えなかった世界が明らかになったことで限界が露呈しました。そして、より多くの情報(体のつくり、栄養の取り方など)を取り入れた五界説が登場し、さらに分子レベルの情報(遺伝子配列)に基づいた三ドメイン説へと発展していきました。

この生物分類の歴史は、科学における「常識」がいかに、新しい発見や技術、そしてより深い理解によって常に訂正され、更新されていくかを示す好例と言えるでしょう。私たちが今学んでいる科学的知識もまた、未来の新しい知見によってさらに洗練され、あるいは覆される可能性を秘めているのです。科学は決して固定されたものではなく、探求と検証を通じて、常に進化し続ける生きた知識の体系なのです。