科学誤謬訂正史

生物は獲得した形質を遺伝させる」という「常識」はいかに覆されたか:ラマルク説から遺伝子の時代へ

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「努力は遺伝する」? かつて信じられた獲得形質遺伝説

現代の私たちは、親から子へ受け継がれる特徴(形質)は、主にDNAという物質に記録された遺伝情報によって決まることを知っています。しかし、この「遺伝子はDNAである」という理解は、科学史の中では比較的あたらしいものです。

それよりはるか昔、人々は生物の多様性や進化について、どのように考えていたのでしょうか。身近な観察から、ある素朴な「常識」が生まれました。それは、「生物が生まれてから獲得したり変化させたりした特徴は、子孫に伝えられる」という考え方です。これを「獲得形質遺伝説」と呼びます。

この考え方は、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルク(1744-1829)によって、体系的な進化論の一部として提唱されました。ラマルクは、生物はより複雑な方向へ進化する傾向があり、また「用不用説」に基づいて形質が変化し遺伝すると考えました。例えば、キリンは高い木の葉を食べるために首を伸ばそうと努力し続け、その結果、首が少しずつ長くなり、その「長くなった首」という特徴が子孫に遺伝したため、現在の長い首のキリンになった、という説明が有名です。

この「獲得形質遺伝説」は、当時の人々にとっては非常に直感的で分かりやすいものでした。親の努力や環境への適応が子に受け継がれるというのは、いかにもありそうな話に思えたのです。そのため、ラマルクの進化論は、ダーウィンの自然選択説が登場するまで、大きな影響力を持っていました。

なぜ獲得形質遺伝説は生まれたのか?当時の科学的背景

獲得形質遺伝説が生まれた背景には、当時の生物学や遺伝に関する知識の限界がありました。18世紀から19世紀にかけては、現在のような遺伝子やDNAといった概念は全く存在しませんでした。生命の設計図のようなものが物質として存在し、それが親から子へ精密に受け継がれる、という発想自体がなかったのです。

当時の生物学では、生物の発生や形質の伝わり方は神秘的な現象と捉えられることも多く、具体的なメカニズムは不明でした。そのような状況で、ラマルクは生物が環境に適応しようと努力し、その結果が子孫に伝わる、という形で進化を説明しようとしました。これは、当時の人々が経験的に知っていた「鍛えれば強くなる」「環境に慣れる」といった現象と結びつきやすく、説得力を持って受け入れられたのです。また、進化という考え方がまだ新しかった時代において、ラマルクが進化の可能性とメカニズムを論じたこと自体は、その後の生物学に大きな影響を与えました。

獲得形質遺伝説への疑問と「常識」の揺らぎ

獲得形質遺伝説が長く信じられていましたが、次第に疑問が投げかけられるようになります。決定的な反証の一つとなったのが、ドイツの生物学者アウグスト・ヴァイスマン(1834-1914)の研究です。

ヴァイスマンは、「胚細胞連続説」という考え方を提唱しました。これは、生物の体を構成する細胞には、生殖細胞(卵子や精子のもとになる細胞)と体細胞(筋肉や神経など、体を構成するその他の細胞)の2種類があり、生殖細胞だけが次の世代へ命をつなぎ、体細胞は一代限りで終わる、という考え方です。そして、遺伝情報は生殖細胞の系列の中だけで受け継がれ、体細胞で起きた変化(獲得形質)は生殖細胞には影響を与えない、と主張しました。

分かりやすい例え話をするなら、家を建てるときに「設計図(生殖細胞の遺伝情報)」があり、それに基づいて「家(体細胞)」が建ちます。ヴァイスマンは、「家がペンキの色を変えたり、増築したり(獲得形質)しても、元の設計図(生殖細胞の遺伝情報)はそれによって書き換えられない」と考えたのです。

ヴァイスマンは、この説を支持するために有名な実験を行いました。それは、ネズミの尾を数世代にわたって切り続け、それでも子孫に尾のないネズミが生まれないことを示した実験です。もし獲得形質遺伝説が正しければ、尾を切られた経験が遺伝し、尾のない子孫が生まれるはずですが、実際にはそうはなりませんでした。この実験は、獲得形質が遺伝しないことの有力な証拠と見なされました(ただし、この実験だけで獲得形質遺伝説全体が完全に否定されたわけではありません)。

遺伝のメカニズム解明へ:メンデルからDNAへ

獲得形質遺伝説が決定的に「誤った常識」として訂正されていくのは、遺伝のメカニズムそのものが科学的に解明されてからでした。

その端緒を開いたのは、オーストリアの修道士グレゴール・メンデル(1822-1884)が行ったエンドウマメの交配実験です。メンデルは、形質が「遺伝因子」という単位で親から子へ伝えられることを発見し、その遺伝の法則性を明らかにしました。これは、形質が親の経験によって変化するのではなく、決まった単位(後の遺伝子)によって受け継がれることを強く示唆するものでした。メンデルの発見は一度は忘れ去られますが、20世紀初頭に再発見され、その後の遺伝学の基礎となります。

そして20世紀半ば、ついに遺伝の本体がDNAという物質であることが明らかになります。ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックらによるDNAの二重らせん構造の発見(1953年)は、遺伝情報がどのように記録され、複製され、親から子へ伝えられるのかを理解する上で決定的な突破口となりました。

その後の分子生物学の発展により、「セントラルドグマ」という概念が提唱されます。これは、「遺伝情報はDNAからRNAへ、そしてタンパク質へと一方向に流れる」という考え方です。つまり、DNAに書かれた情報に基づいてタンパク質が作られ、それが生物の体や働き(形質)を決めますが、逆に、タンパク質や体細胞で起きた変化がDNAの情報を直接的に書き換えることは基本的にない、ということです。

この分子レベルでの遺伝メカニズムの解明によって、ヴァイスマンの胚細胞連続説が科学的な裏付けを得ることになりました。体細胞でどのような変化(獲得形質)が起きようとも、生殖細胞のDNA配列に直接的な変更が加えられない限り、その変化は子孫に遺伝しないことが明らかになったのです。

現在の理解:遺伝子と環境の相互作用

現代の科学では、生物の形質は遺伝情報(DNA)だけで決まるのではなく、遺伝情報と環境要因が複雑に相互作用することによって発現すると理解されています。例えば、身長が高くなる遺伝子を持っていても、十分な栄養がなければ最大限に成長できないように、環境は形質の発現に大きな影響を与えます。

しかし、ここでいう環境の影響は、あくまで「遺伝子によって決まった可能性の範囲内で、形質がどのように実現するか」に関わるものであり、「環境によって変化した体細胞の形質そのものが、生殖細胞の遺伝情報に書き込まれて子に伝わる」という意味ではありません。

近年、エピジェネティクスという分野の研究が進み、DNAの配列自体は変化しないものの、DNAに付随する化学的な修飾などによって遺伝子の働き方が変化し、それが世代を超えて伝わる可能性があることも分かってきました。これは、かつての獲得形質遺伝説とは全く異なるメカニズムですが、環境の影響が遺伝に関わる可能性を示唆する点で注目されています。しかし、これはラマルクが考えたような、体の使い方や経験によって獲得した形質がそのまま遺伝するという意味合いとは大きく異なります。

まとめ:科学的「常識」は検証と更新の連続

ラマルクの獲得形質遺伝説は、当時の知識レベルでは合理的な推測であり、進化という重要な考え方を広める上で貢献しました。しかし、その後の科学の進歩、特にメンデル遺伝学の再発見や分子生物学の発展によって、遺伝の真のメカニズムが明らかになるにつれて、「獲得形質は遺伝する」という「常識」は誤りであったと訂正されていきました。

この事例は、「常識」と思われている科学的な理解も、新しい発見や技術によって常に検証され、必要であれば更新されていくという、科学の本質をよく示しています。観察や推測に基づいた古い考えが、実験や分子レベルでの精密な解析を経て、より正確で詳細な理解へと置き換わっていくプロセスは、科学史における重要な転換点の一つと言えるでしょう。私たちが今「常識」として学んでいることも、未来の科学によってさらに深く理解されたり、場合によっては訂正されたりする可能性も、常に開かれているのです。